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2018年04月13日01:16

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徒然

徒然


今日はあまり書ける気がしないのだけど、思いつくままに。


「出会いは神の意志、再会は人の意志」


っていうフレーズを読んで、鳥肌が立った。
当たり前と言えば当たり前なのだけど、一期一会だけではあまり意味がないということ。
受動と能動では結果的に同じものであっても、体験として残るものが違う。


そういえば、法律学勉強していると、意志っていう言葉はあまり使わなくなる。
民法に意思表示っていう概念があるのだけど、こちらの方がしっくりくる。

両方とも志向性はあるような気がするのだけど、何が違うのかな。
思いと志では地に足がついているのかが違うような。

知らんけど。


なんだかここの日記をエゴサしていると、読解力の話が何個かあった。
ニュースのやつなのかな。話が通じないとかなんとか。


たまたま昨日ネットサーフィンしていたら凄い業績を上げている数学者さんがしれっとブログを書いているのを見つけて読んだのだけど、バベルの塔の話が出てきた。

バベルの塔の話って確か人類が共通言語を駆使して塔を建てていたら神様のお怒りを受けて言語圏がバラバラになったっていう神話で良かったっけか。


良く分からないのが、同じ言葉を扱っているからって別に疎通ができているわけでもないよなっていう素朴な実感。言語が統一したからって、何も変わらないような。

そうして、ニュースの話だけど、若者が国語の文章題を解けないことを危惧している大人がどれほど解けているのかっていうこと。

経験値が高い分変な固定観念で分かった気になっているってことも多いような気がする。


純粋な読解力って、おそらく文章の中から必要な情報を抽出するところにあって、その本に何が書かれているかっていうのを客観的に示すことみたいなものではないし、読み手がどうしたいかとか読み手のレベルに左右されるものだと思う。

もっと言うなら、必要な情報が分かりきっている場合には別に文章に当たる必要はないし、情報だけをまとめてある参考書なんて読んでも別に読解力はつかない。

多分国語じゃなくて論理の話。

単純に本を読めばいいとか、本を読まないからっていう話でもなさそう。
共通認識が構築できにくいっていう話は確かにそうだろうなって思う。
話題が絞られていたから話が通じているように感じる。

何かに共感できるっていう意味での読み取りは、読解力よりも想像力の話で、この文脈であれば本を読むことで訓練されるものはあると思う。

混同されているのも分からない話ではない。
実際には完全に分離できるものでもないし。


話が通じないっていう論だけど、こういうことを言うだいたいの人が、自分の方が分かっているっていうのを暗黙の前提にしていると思う。

話が通じなかったのは自分の語彙不足だって考える人はなかなか居ない。


こっちは丁寧に説明したのにっていう感覚自体が間違っていて、通じるか通じないかっていうのは、読み手ありきの話。自分の中でどれだけ完成させていたとしても相手に伝わらなかったら当人の力不足なような。

どれだけ言葉を尽くしたとしても、話者が結局どうしたいのかっていうのが読者に分かってしまったら、個々の言葉は意味を持てなくなる。


さて、この文章ではどうだろう。


おしまい。

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