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2018年04月12日17:56

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これが現代ロシアの一面なのか 映画『ラブレス』を観る

 『ラブレス』とはなんと直裁的なタイトルだろう。
 ひとつの家族の崩壊を描いている。ボリスとジャーニア夫妻は離婚を前提にしていて、既にそれぞれの恋人がいる。そしてその両者ともに、自らの新しい生活の「邪魔」になる12歳の息子、アレクセイを引き取ろうとせず、相手に押し付けあっている。
 そのことをアレクセイは知っている。知って泣いている。

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 お互いが新しい相手ととのセックスシーンを演じて家を空けている間に、少年は行方不明になる。
 ここから、映画の対象はガラッと変わり、失踪した少年の捜索シーンが展開される。それも警察などではなく、民間のボランティア団体によるそれが中心だ。この組織の手慣れた捜索活動は一つの見ものではある。

 カメラは捜索の模様を舐めるように追い、このシーンは結構長いが退屈はしない。ロシアの森、廃墟、森の中の軍事基地らしい施設、それらを追い続ける映像は、それ自身がサスペンスの要素を醸し出すからだ。
 その捜索の結論はいうまい。

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 なお、息子の失踪を契機に夫妻の仲が戻るというほど甘い映画ではない。むしろ、その過程で二人のギャップが生理的なものといっていいほど一層鮮やかになる。

 ラストシーン、夫妻はやはり別れ、それぞれの新しい相手と結ばれている。しかし、そこに新たな希望、新たな安らぎが得られたようにはとてもみえない。相変わらず、ルサンチマンに囚われた生活であるかのようだ。

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 ボリスの方は新しい相手との間にできた子どもを邪険に扱う。ジャーニアは新しい相手と会話もないままに、けだるげにルームランナーでのトレーニングを始める。
 そのトレーナーの胸にくっきりと書かれた「RUSSIA」の文字。あ、これはロシアの映画だったのだと改めて思い起こす。そして、このシーンにも、そして、映画のなかでもときおりテレビやラジオのニュースとして伝えられる中東やウクライナ情勢のニュースが・・・・。
 そうこれは紛れもなくプーチンのロシアの時代を撮した映画なのだと改めて納得させられる。

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 『ラブレス』とは、夫妻や親子をこえた、まさにこの時代のロシアを捉えた痛烈なリアリズムでもあったのだ。新自由主義的なエゴイズムが私生活全般にまで根を下ろす時代。
 アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の手並みは鮮やかだと思う(この監督の作品は『父帰る』しか観ていない)。

 なお、この夫妻はまさにスマホ世代といってよい。私が観たなかではスマホがこれほど頻出するは映画も珍しい。
 私たちの国でも、スマホ世代がが親となりつつある。国の政治も醜く歪んできている。
 そうした中で、「ラブ」が喪失することなく保たれる保証はあるのだろうか。
 

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