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2018年04月12日01:50

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長い

今日は鯖缶肉じゃがと、長芋きゅうりわかめの白だしワサビオリーブオイル。
お肉を食べたい気分ではなかったから、なんとなく胃腸に優しそうなもので。

朝はうどんで昼は昨日のもやしと人参のナムルにちくわと卵入れてレンチンした丼と、ミニトマトとわかめの味噌汁と、きゅうりと塩昆布の和え物にちょっと醤油垂らしたやつ。



さておき。
あまりうまく寝られないのは、体が疲れてないからだと思う。

散歩くらいはしてみたけど、最寄りの古書店は法学関係の本棚がやたらと狭くなっていて悲しかった。まぁ、今ある本ちゃんと食べろよってことなのだろうけど。


体の具合は、試験直前の神経が高ぶった時に近い。
えずくし胃腸の具合も悪いわであまり良いところはないけど、頭の回転は良好だからまぁ良いかという感じ。

そういえば、職場の唯一の心残りを実現させるように持っていくかどうかを思案している。それが実現したらっていう向きで想像しているってことは、もうほぼほぼ諦めているというか、無いから考えているのだろうなって経験則が働いているけど、現実化する行動力は今やない訳ではないから、どちらにでも転ばせる。

サイコロは自分の手の中にある。


だからといって別に無理をさせたい訳ではないから、本当は弟子が気を利かせて場を作ってくれるのが一番良かったのだけど、弟子はそれほど自分との関係を継続させたいっていう動機はなさそうだっていうのが今のところの観測。


ただ、ここに場の境界線の話が出てくる。
オフレコの話題に上がっていたやつ。


場に属する人は、その場の常識から離れた振る舞いを意識に上らせないようにする。
送別会の時に仕事の話ばっかりだったのは、仕事の話題しかないっていう人より、他の話題が出せないっていう人の方が多かったはず。共通言語が仕事で当たり障りない会話できるっていう場の内側での振る舞い。

場っていうのはあらゆるところにある。
家族だってそうだし、一番根っこだと自分っていう場もそう。


境界線を越えるためには、何か自発的な作用が必要。


という意味で、パートさんの一人がまた飲みたいって言ってくれたことは境界線を越えた試みだから、実現させなきゃなって思う。何が引っかかっているのかは知らないけど。


そう、引っかかりか。

場の境界線を越える程の引っかかりは弟子にはないのだろうなと。
たまたま、、、

どうしたものか。
まだ書きたいなら餌を追加せねばならんし、このまま寝れそうだから寝ても良いし。


と言って買ってきてしまった。
今日は絶対公開しとこう。

なんだっけ。
ひっかかりの話。

自発的に誰かのために時間を使うことと、求められて使うことでは、全然意味が違う。


弟子くらいの年齢の時は自分も後者側だったけど、要は、求められなくても別に構わないってところ。自分の場合はむしろ求められることがしんどかったりしたけど、なんせ、どっちでも良いってこと。

関係がなくなったらなくなったでしょうがない。
というくらいに相手に興味がない。

から、自発的に自分の時間を相手に使うことができない。


そんなことないっていう反論があるとすれば、目上の人に飲みたいとか言えるわけがないっていうのがありそうだけど、これが場の境界線の話。


寂しいとかそういうことより、限られた時間の中で、一方通行の関係を維持する暇はないかなっていう感じ。明日交信してみてタイミングが合わなかったらそれまでかなと。心残りも含めて。

現実化しなさそうだなぁ。


閑話休題。

頭はちゃんと使えている。
書く訓練は目標までいけたし、今勉強しているところに関する思考も動いてきた。

法律学は、法命題を現実に当てはめて実際の紛争を解決させるための道具っていうところから再構築しないとなって。

数学はまだあまり分からない。
数学が論理的だっていうのは誰がやっても答えが等しくなるところにあるのかなって思うけど、それよりもなぜその概念を操作しようと思ったのかが気になっている。


周辺視野の訓練は、やっと周辺視野を活用しているっぽくなってきた。
何百回まではいってないけど、ぼやぼや全体が見えるように。焦点を当てないようにするのが大変。

他にも諸々。
文化人類学の象徴なんたらには線が引いてあったし、経済学とか政治学とか繋がっているし。

書き切れない。


最後は自分自身の場の話で収めよう。


無言の圧力もあるから、性生活について。
上手くいかないのがトラウマかって言われたら是だろうなって思うのだけど、それは相手の非ではなくて、自分のせいだ。

よくよく思い返すと、思春期くらいの時に父親が母親に迫って拒否られてるところまで遡る気がする。


成功例が4件しかないからなんとも言えないのだけど、要は、まぐわいを交流とは認めてないってことなのだろう。

公には神経使うからしんどいって言っているけども、実際は、神経を使わないようになる自分を嫌悪している。

一番まぐわった人に対して、一方的な従属感を強いるために使っていたこと。交流じゃなくて、一方通行に相手が合わせるだけのものなのだなって。

合わせてくれていたってことは、相手は別にそんなことは欲していないのに無理やり一方的な快楽のために無駄な体力と神経を使わせていたってことなのかなって思うと、枯れていく。


答えになっているかどうかは知らないけど、この辺が限界かな。

おしまい。







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