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2018年04月01日00:50

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「西郷どん」にまで及ぶ薩摩義士と多度大社の動物虐待?

 先般の桑名訪問の続きだが、昼食に桑名名物蛤のうどん御膳を頂いてから、次に向かったのが海蔵寺だった。
 
 ここは知る人ぞ知る宝暦治水事件の一つの最終地点である。
 宝暦治水事件の詳細は以下のWikiを見ていただく他はないが、宝暦三年、幕府は、最大の難工事といわれた木曽三川(木曽、長良、揖斐)各河川の改修工事を薩摩藩に命じたのであった。その背景には、次第に力を付けつつあった薩摩藩に対する警戒もあり、その力を削ぐという目的もあったという。どうもはじめっから無理難題の工事だったようだ。

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            上部の幕の紋 左が平田家、右が薩摩藩
 
 この海蔵寺については、桑名の観光案内によると次のように書かれている。
 「宝暦3年(1753)に幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5年工事は完成されたましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここ(海蔵寺)には平田靭負他21基の墓石が現存し、市指定史跡となっています」

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 宝暦治水事件につき更に詳しく知りたい方はこちらを参照されたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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 ようするに、難工事中の難工事で、傷病死がでるなどするなか、加えて、幕府から派遣された役人の嫌がらせや妨害工作があり、それへの抗議の割腹、工事の遅れや経費の拡大の責任をとっての割腹、などなど後世の人びとによれば、薩摩藩士殉職者は平田靱負以下85名を数えるに至っている。

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               薩摩藩家老・平田靱負の墓

 彼らの業績を賛美し、その犠牲の大きさを最も悼んだのは、その事業によって度重なる洪水の被害が軽減された地元300か村の人々である。具体的にはいまの海津市を中心とした岐阜県南濃地方の人たち、三重県北勢地区の現在の桑名市を中心とした一帯人たちである。
 したがって、彼らの墓所はこれらの地域に散在している。そのうち、三重県側でもっとも著名なのはこの海蔵寺だろう。

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 墓碑は平田靱負を始め21だが、境内に建てられた掲示には24名の割腹とその日時が記されている。それによれば、上にみたようなさまざまな事情もあって、それぞれの割腹日はまちまちだが、その最期は、責任者だった平田靱負である。一連の動静を見極め、すべてが終わってから自らの責任を全うしたのである。
 「私たちは指示もしなければ関わりももっていません」としれっといいぬけ、「◯川が、◯川が・・・・」と言い立てる連中とは雲泥の差である。

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 もうひとつ比較したいものがある。それは、薩摩藩士がやってのけた治水事業と、前回もちらっと述べたあの醜悪な長良川河口堰の違いである。前者はまさに身を削り、わが身を犠牲にしてまで民百姓の苦難を救ったのに対し、後者は、膨大な税をゼネコンの懐に運び込んだのみで、その結果は周辺の環境を悪化させることでしかなかった。
 この二つが、時代を隔つとはいえ、ほぼ同じ地域での出来事であることに、建設当時、その反対運動に若干関わった者としては、やはり感慨を覚えざるを得ない。

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     石段の右側が上げ馬の坂道 その右側は神事検分のための桟敷席か

 桑名市の締めは、多度大社だった。
 この神社の大祭は、「上げ馬神事」と称されるもので、30度以上の急坂を馬に乗った若者が駆け登り(計十数頭という)、その成否の数でその年の吉凶を占う勇壮果敢な祭りとして知られている。

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 ただし何年か前、登坂する前の馬を興奮させるため、その馬体をやたら叩いたり、酒類などを興奮剤代わりの飲ませたりするのは動物虐待ではないかという告発があり、全国的な話題になったことがある。ようするに、伝統的なものと今様の価値観の衝突のようなものである。

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 どのように折り合ったかは寡聞にして知らないが、この神事、6つの地区から3頭ずつの馬が出て行われるようで、しかもその結果がその年の吉凶を占うとしたら、各地区とも必死になってなんとか上げ馬を成功させようとする気持ちもわからぬでもない。

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 写真に白い馬があるが、これは境内で飼われている神馬で、この馬が上げ馬を行うわけではない。これは、あのオグリキャップと同様、芦毛が老化したもので、かなり老いた馬だと思う。この馬に、あの坂を登らせたらそれこそ虐待かもしれない。
 それにしても、馬という動物は優しい目をしている。

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 以上が桑名市(多度はかつては桑名市ではなかった)に関する紀行である。
 その後、県境を越えて岐阜県側で絶景地に立ち寄るのだが、また機会を改めたい。

 
    

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