まったくバカげた風習だと思う。いや、風習というか、それに乗じた商戦の問題なのだが。
昨日、私がいつものスーパーへ着いたのは午後5時半頃だった。例の太巻き寿司が寿司のコーナーにはもちろん、特設コーナーにも仰々しく並べられていた。そればかりではない。鮮魚売り場には持ち帰って巻くための具材が長く切ってセットで並んでいた。
へそ曲がりな私はそうして騒がれれば騒がれるほどそっぽを向くことにしている。正月過ぎたら直ぐに予約コーナーまで設け、そこまでしてなんでこんなことをと思って余計意固地になる。
だから昨日のスーパーでも、そんなコーナーは見向きもせずに足早に・・・・と行き過ぎたいところだったが、あいにくそのコーナーはそれなりの人だかりがしている。
だから、見るともなしに売り場を見ると、半端ではない数量が並んでいる。
時間はもう6時に近い。どうあがいてもこれを売り切ることはないだろう。おそらく、もう少ししたら叩き売りが始まり、それでも残ったら・・・・などと余計なことを考えて通り過ぎた。
帰宅して、太巻きとはまったく縁のない食事を摂り、ネットに向かって驚いた。もう昨日の20時頃の「朝日デジタル」が、売れ残った太巻きが破砕機で処分される様子を報じているのだ。
え、もう8時に、これは早すぎるのではと思いながらよく読むと、もうその日の午後から太巻きの破砕作業は始まっているというのだ。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4971858
読み進んでさらに驚いた。売り場に出て売れ残ったものということではなく、そうした日の目はまったくみないまま、工場から直送されて来たものをその日の午後からすでに処分しているのだという。
どういうことかというと、それらの工場は、売り場からの追加注文が入るのを見越して余分に造るのだそうだ。そして、その追加注文がありそうかどうかは午後の段階で判明する。したがって一足お先に破砕機にというわけだ。
完全にできあがっていながら売り場に並ぶことなく運び込まれるものに、急遽製造できるように準備されていたすし飯や具材の原材料も同時に運び込まれるという。
さらに夜半になれば、デパートやスーパー、コンビニから売れ残ったものがどっさり運び込まれることだろう。
かくしてそれらは破砕されて豚の餌となる運命なのだ。しかし、豚が太巻きを食って幸が来るなどという話は聞いたことがない。所詮彼らはとんかつになる運命なのだから。
いったいどれほどのパーセンテージがこうした運命を辿るのかは知らない。しかし、わざわざ報じられるところを見ると、そしてその記事内に普段のご飯ものの倍ぐらいとあることからみて相当の量であることは間違いない。
原材料もだが、それに費やされた労働力や調理のためのエネルギーのロスも馬鹿にはならないだろう。
しかし、こんなことを心配する私がナイーヴなのだろうとも思う。太巻きを製造したり販売している業界にいわせれば、そんなものはとっくに計算済みなのだということなのだろう。要するに原価のうちで、太巻きを買った人たちがちゃんと支払っているのだ。
世界には飢えた人びとが無数にいるのにという指摘だって、そんなものは単なるセンチメンタリズムにすぎないとして一蹴されるだけだろう。
かくしてこの愚は、この風習が続く限り繰り返えされるであろう。最初に述べたように、風習そのものが悪いわけではない。だから、その風習にしたがって、節分に太巻きを齧ろうとする善男善女を非難しようとしているわけでもない。
しかし、最後にいささか意地悪な事実を付け加えるならば、これとて、大阪の一部にそうした風習がある「らしい」ということでコンビニあたりが宣伝し、全国に広まったのはたかだか30年ほど前なのであって、したがってその風習自体が平成生まれの商業イベントにすぎないということも厳然たる事実なのだ。
さて、次はバレンタインでひと騒ぎだろうが、これはその商品の性質からして、そんなに捨てなくとも済むのではないか。
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