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2017年12月02日11:17

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著述の限界・旧友たちへのメールから


  少し前、渋谷区に住んでいた、今は天国にいる、筋無力症の同級生女性の事をメールで述べた。確かに、光明養護学校卒業後も、光明にあった青年学級に通い続けるなど、一生、学校時代みたいだった。また、渋谷区の福祉発展も遅れていたかもしれない。でも、本人が光明生活やその後の青年学級が楽しかった以上、掘り起こして、ブログやフェイスブックに僕が書けるだろうか。書くとして、その医学面に限られると思う。又、医学面も、医者ではないから、ほんの上べだけに限られるはず。あるいは、メールとか、交友目的のSNSであるミクシーに限られると。特に、フェイスブックに載せた場合、どんな文も社会運動みたいになってしまうから、注意しなければならないといつも思っているわけです。
  生前の本人が「良かった」と思っているのならば、他人がその問題を書けば、本人の意思を踏みにじる事になり、良くないわけです。当たり前ですね。では、仮に、本人が不平不満だらけだったら、どうなるか。書けるか。書けない事もないですが、非常に難しい。何故なら、その人の視点と、書く側の視点がどうしても違ってくるから、的外れの文になる事が多いわけです。的外れの事をフェイスブックで国会議員さんたちに読んでもらったら、マイナスですね。それなら、何も書かない方が良いわけです。また、昔、教員志望でもないボランティアが障碍児教育関係に口出ししようとした事を僕も怒った事がありますが、いくら同級生だとは言え、本人の意向を無視して著述すれば、僕もそれと同じことをするという皮肉な事にもなる訳です。その面からも限界がありますね。
  因みに、宗教関係を中心に多くのボランティアが訪れている多磨全生園では、あるキリスト教団体が元患者の差別などの声を聞いてはキリスト教系の会報に伝える活動をしていたと聞いた事がありますが、元患者のかなりからは「お節介をしやがって」と怒られていたそうです。サポーター側もその運動への批判は強く、「全生園の人たちに「して上げる」事は何なのか。見下す行為であり、それも差別ではないか。その運動をしている人は、差別反対を唱えながら、自らも差別している。おかしい」という話も複数の人たちから聞きました。
  もう一つ述べると、その同級生との相性。僕とはウマが合わなかった。ならば、書けません。他人の事を伝える事も「相性」も大切。合わなければ、全く違う事を書いてしまう事が多いわけです。ウマの合わない人たちの事は書かかない方が良いかもしれませんね。伊藤まつさんとは相性が良かったから、かなり書けますが。

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