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2017年10月24日20:35

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この父にして、この子あり

以前同僚が、実は私、こう見えて昔華道をやっていたことがあるの、と言い出したことがある。
へー、意外!
でもね、ちょっと変わった先生でね。
どう変わってるの?
ワイルドで、なんか、運慶・快慶!って感じ。
こう言うと彼女は、雷門の阿吽の像のようなポーズをとってみせた。
・・・つまり、我々の運慶のイメージは、そういうものだった。
大方の人も同様ではないだろうか。

だから、今年の2月に国立博物館で、来たる運慶展のフライヤを拾った際には、そこに使われている像の写真にとても驚いた。(再掲)
運慶といえば、金剛力士のような筋骨隆々とした像のイメージしかなかったからだ。
けれど、こんな力の入った展覧会の「顔」として、この悲しげな僧侶の像を使うからには、何か大きな意図があるに違いない。
フライヤのデザインのクオリティの高さに圧倒されつつ、きっと私は運慶のことをまだ何も知らないんだろうなと思った。


小雨が降っているのを幸い、夕方上野に用があるのにかこつけて、急遽、月が変わったら行こうと考えていた運慶展を観に、東京国立博物館へ足を運んだ。
運慶については、マイミク「しまみみ」さんが、梓澤要の小説『荒仏師 運慶』が面白いと書いておられたので、どれどれと思って読んで予習をしておいた。(しまみみさん、ご紹介ありがとうございます!)
駆け出しの仏師として仕事を覚えてきた頃に平家の南都焼き討ちに遭遇し、興福寺の像を必死で運び出す場面に始まり、平家から源氏への政権交代、京の貴族社会で不遇であった父康慶率いる慶派の奈良での成功、源氏ひいては北条家による引き立てを契機に、武士の時代に相応しい強さとリアリズムを持った新しい造形の道を開いた仏師の一代記。
ページに東博の出品作品リストを挟んで、これは何ページに出てくる、これは誰の依頼で作成、などと簡単にメモを取りながら読み進めた。
運慶のことなら、何でもこのわたくしに聞いてください。
(嘘です。)


「運慶のデビュー作」と大書きした大日如来像に始まり、毘沙門天、不動明王、そして話題の金剛峰寺の八大童子像(やって来た人々が口々に可愛いねと小声で呟いていたのが印象的)、興福寺北円堂の無著・世親像などなど、運慶の傑作が次々に我々の目の前に立つ。
会場は大変混雑しているものの、どの像も一体ずつ、後ろに廻りこんで観られるように配置してあるし、像そのものが大きいので、下から見上げるようなものも多い。
よって、あれだけの人混みも、ほとんど気にならない。
深紅や濃紺、漆黒など、計算しつくされた色の壁を背に、的確なライトアップが像を見事なまでに浮かび上がらせ、細部の彫りや衣の彩色、運慶の特徴である玉眼の具合までじっくりと観ることができて、言うことなしだ。
殊にその照明の効果たるや、興福寺の四天王立像などは、むしろ遠くから観る方が圧倒される。

もし運慶本人が800年の時間を飛び越えてこの展示を観たら、大喜びするのではないか。
いや、いかん!色や、色が落ちてしもてるやないか、こんなん見せられん、早よ塗らんかいと大騒ぎするかもしれないな。

運慶彫刻の白眉は、やはりポスターに使われた無著・世親両像だ。
インドに実在した兄弟僧の、悲しみと怒りと諦念と慈愛をたたえた二つの像は、時間の経つのも忘れて観入ってしまう。
そして、あちらからもいつも観てくれているのだ、という気にもさせられる。
武士の時代を象徴する雄渾な造形と、たっぷりした衣をまとった豊かな体躯の仏、時代とともに前へ前へと進む運慶のそうした作風に加え、もう一つの面、つまり人間の弱さや愚かさ、繊細さにも的確な眼を向ける仏師の、個人的な思いのようなものを感じずにはいられない。
戦乱続く時代に、ほとばしる動のエネルギーを見事な像に彫り込んだ運慶の、静の結晶がここにあった。


・・・だがしかし。
そうした一方でやはり思うのは、運慶の実父にして師匠である康慶の作風だ。
展示では、運慶の作品の本格的な紹介に入る前に、父康慶の作品がいくつか並べてある。
中でも興福寺の四天王立像には圧倒された。
鎧の過剰なほどの装飾。
その筋肉、その表情に漲るエネルギー。
平家全盛の時に、すでに力に宿る美に気がつき、それを鑿で剛毅に表現していた男がここにいた。
天平以来の優美な造形の、その先の扉を開いていたのは、まぎれもなく康慶だった。
運慶はそれを大きく押し広げ、目の前に開けたばかりの時代に向かって高々と名乗りを上げたということなのだろう。
この父にして、その子あり。
天才は往々にして親兄弟と無関係に出現するというが、運慶が棟梁康慶のもとに生まれたことを、後世の我々は喜ぶべきなのかもしれない。


展示の第二会場は、運慶に続く慶派諸仏師の作品が並べられ、有り態に云って前半の展示より少し格が落ちるのは否めないが、それでも見所はいくつもある。
焼け落ちた東大寺の再興に力を振るった名プロデューサー重源上人の写実を極めた像、運慶の三男康弁の現存する唯一の作品でもあるユーモラスな天燈鬼と龍燈鬼。
それに、京都高山寺の生き生きとした一対の神鹿には今すぐ鹿せんべいを持って駆け寄りたくなるし、その隣の同じく高山寺の仔犬にいたっては、身もだえするほどに可愛らしい。
慶派にしてからが、ニッポンのカワイイの呪縛から逃れることはできなかったのだな!
この辺りは、南都焼き討ちだ運慶だ鎌倉仏師だといった知識など、まったく無用のままで愉しめる。

そして展示の最後を飾るのは、京都浄瑠璃寺の十二神将。
子丑寅卯・・と十二の方向をそれぞれ守る勇壮な神で、兜の上にそれぞれの干支をあらわすものがくっついている。
みなそれぞれ、カッと眼を見開いてこちらを威嚇したり、憤怒の表情で睨みつけたりしているのだが・・・・・
おいおいなんてこったい、午(ウマ)だけが、ただ彼ひとりだけが、剣に頬づえをついて、やってらんないよもう、というポーズをとっているではないか!
えー、わたくし、丙午ですが、それがなにか?



※「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」は、東京国立博物館で11月26日まで開催です。



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