mixiユーザー(id:7016667)

2017年10月20日19:33

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【アドバイスを否定されての闇落ち】

力(手段)なき正義(目的)も正義(目的)なき力(手段)も暴走しやすい

証拠や合理性に基づき、理詰めで考えるのはよいことだが、それはあくまでも「手段」に過ぎない。私が理詰めで考える目的は「全体利益の最大化」「最大多数の最大幸福」「自由平等博愛の敷衍」だとしている。要は「なるべく皆で仲良く幸せに」である。むろん程度の問題が合って、少数派や弱者への配慮の努力義務だとか、「犯罪者」「明らかにこちらに危害を加えてくる相手」に関してはそうも言ってられないが(笑)。

事実に基づき、負担や責任はとりながら、公平になるよう利益や権益を分配する。単なる「自論のゴリ押し」が目的となれば、それは単なる「理論武装」であり、「他人の領域への侵略行為」でしかない。

たとえばオリンピック関係者で頻発したが、過去の悪事や差別的発言について。当人に「負の実績(前科)」がある場合、それは処断されるべきだし、かなり慎重に考える必要がある。
当人に負の実績はないが、その所属グループに統計的傾向が見られるというレベルでは、
相応に考慮してよいが、「前科」よりはレベルが落ちるのだから、対応に差をつけるのが妥当だろう。また、単なる発言で実行が伴わなかった場合と実行があった場合でも差をつけてしかるべきだ。

可能性があるという程度なら、警戒を飛ばす程度で十分と言う具合だ。

ある問題に対して、自分と周囲で対応に大きな差がある場合はその理由を考えるとよいだろう。「自分は許容できないことを周囲はなぜ許容しているのか?」 そこに目を向けず「こんなことも理解できないなんてバカだ」と拒絶していては、自身の視野は狭いままで成長が得られない。

相手が自分の意見や好意を拒絶した途端に闇落ちする輩の代表例が「ストーカー」であろう。結局「自分の意見を相手に押し付けるのが目的だったという自分勝手な本性」を現すわけだ。

自分の意見が受け容れられないからと言って拒絶や敵対するというのでは「本末転倒」だ。

もともとの目的は自分の意見を押し付けることではなく、あくまでも「相手により良く、幸せになってほしい」ではなかったのか?その誠実で純粋な願いがたとえ相手に受け入れられずとも、相手の人生や相手の領域のことであれば「相手の決断は仕方のないこと」だ。

私は少なくとも自分の意見を受け入れなかったからと言う理由で相手と敵対するつもりはない。もともと「相手により良く、幸せになってほしい」と言う願いと矛盾するわけだから。あるいは自身のほうが間違っている部分がないかと常に疑う態度も必要だろう。それが論理的態度というものだ。

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