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2017年10月03日23:39

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ある絵描きの話

サマセット・モームの『月と六ペンス』。
日本人の誰もが、何となくいつの間にか、このタイトルを覚えてしまう。
風変わりでちょっととぼけた題名だが、それがどんなお話なのか、読んだことのある人以外は、まず知るまい。
この作品が発表されて、まもなく百年が経とうとしている。

自宅読書会に、懲りもせずほぼ毎回レギュラー的に通ってくれている奇特なN君のリクエストもあり、『月と六ペンス』が今回の読書会のテーマとなった。
20世紀初頭のロンドン。
駆け出しの作家である語り手は、芸術家の集まるサロンの女主人の元に出入りするうち、株式投資家であるその夫ストリックランド氏に引き合わされる。
画家、作家、音楽家らと当意即妙に知的な会話を交わす妻に比べると、夫はまったく芸術に興味を示さず、極めて退屈な男であった。
その夫を、しかし妻はたいそう愛している風でもあった。

しばらくして、そのストリックランドが、妻を捨て逐電したという報せが入る。
もう戻らないというそっけない書き置きを遺し、若い女を連れてパリに行ったらしい。
妻は作家に、パリに行って夫に会ってほしいという。
私は何があってもあなたを待っている。責めたりはしないから戻っていらして。
そう妻はことづける。
なりゆきでパリに到着した作家は、聞いていたのとは大違いの場末の小汚いホテルでストリックランドに面会する。
彼はまったく独りであった。
「何をしてるんです」
「絵を描きたくてな」
「経験はないでしょう。自分に才能があるとでも思ったんですか」
「いや、しかし描かなくてはいけないんだ」

こうして物語は大きく動きだす。
数年後、パリに移り住んだ作家はストリックランドに再会するが、生活は困窮し、餓死寸前の態で、それでも独力で描き続ける彼は、傍から見ると狂気じみてもいる。
そしてそんな彼の存在は、お人好しの画家ストルーヴェ夫妻に、決定的な破滅をもたらすに至る。

その事件からしばらくして、ストリックランドはパリから姿を消し、その6年後にタヒチで死を迎える。
正確には、彼の死の4年後に、著名な評論家がストリックランドの遺した画を絶賛し、知り得た限りの「天才画家チャールズ・ストリックランド」の生涯を世に紹介したのだった。

・・・これの何処が『月と六ペンス』なのかは、たいていの版の解説にきちんと書いてあるので、読者は読み終わってから、ふうんと思うしくみだ。


というわけで、この本をテーマに読書会を開くにあたり、恒例の遊びをいれてみた。
――あなたなら、この小説にどんな題名をつけますか?
読書会に来てくれる人に、それぞれが考えた、この小説にふさわしいタイトルを考えてきてもらうのだ。

寄せられたタイトルは、次の通り。
『狂人』
『ある絵描きの話』
『ストリックランドの挑戦状』
『全世界を我に』
『猿猴月を取る』(えんこう つきをとる)
『欣求浄土』(ごんぐじょうど)
『人生の楽園』
『輝く月の向こう側』
『色男』
『真実と解放』“Truth and Freedom”
『良心と恋』
『友人の旦那がパリに脱走してタヒチまで行っちゃった……描かなきゃなんないってなんだよそれ』
『神さまに見初められたら命がけ』

題名を考えながらこの本を読むこと自体は愉しかったが、いざ題をつけるとなると意外に難しく、それがために参加表明を躊躇する人もいたほどだった。

(これをお読みの皆さん、逆にここに挙げられたタイトルだけを手がかりに、どんな内容の本なのかを推理するという遊びを、お知り合いの方とやってみられてはいかがでしょうか?)

このうちどのタイトルが最もふさわしいかを、説明を加えないまま無記名投票した結果、一番人気が高かったのが、『ある絵描きの話』というシンプルを極めた題名だった。
そして、『月と六ペンス』というタイトルが、考えれば考えるほど実は優れたタイトルだという意見に、大方の人が賛成した。
小説家が作品にタイトルをつけるのは、意外に頭の痛い作業だったのだな。


天才画家がタヒチに渡って、現地の人びとをモデルに数々の傑作を遺し、彼の地で死んだ。
作者モームがはしがきでことわっている通り、主人公のモデルは、ゴーギャンだ。
(このはしがきは、現行の和訳では岩波文庫版にしか収録されていない。)
しかし参加者からは、ゴーギャンよりも、むしろファン・ゴッホのイメージの方が近いという感想が聞かれた。
作中で、ストリックランドが実際にはどのような画を描いたのか、それを直接示唆する部分は少ない。
そして、画商も一般の人びとも、この小説の語り手すらも、ストリックランドの画を見てそれが傑作だと感じた者は誰一人いない、道化じみたストルーヴェを除いては。

ストリックランドは本当に天才なのか。
彼の画業が世に出たのは、先ほど述べた有名評論家が偶然彼の画を目にし、論文でストリックランドを天才として紹介したから、だった。
そして今や、彼の画は途方もない高値で取り引きされている。
ここに、芸術とビジネスの欺瞞を見る視点を、サマセット・モームは別段とってはいないようだが、たいていの読者は、ストリックランドの天才性について疑問を持たざるを得ないだろう。
ストリックランドの後半生を語る作家も、彼の画を何枚も見ているにもかかわらず、全くその才能を感じ取ることはなかった。
ゆえに、小説の読者である我々にも、ストリックランドの天才性は、あいまいなまま届けられるのみだ。

パリで傲岸不遜の画業至上主義者として再登場する主人公の、ロンドン時代の無味乾燥なビジネスマンぶりに、天才の片鱗すら描かなかったモームの筆には、小説構築上の疑問を感じなくもないという声もあった。
これには、語り手の作家が当時23歳で、人間の何たるかをまだ何も知りえない年齢であったということを示唆しているのではという解釈があった。
語り手は、物語の進行につれて、時にストリックランドを突き放すほどに成長を遂げる。
人間観察を得意とし、本作の4年前に自伝的大作『人間の絆』を脱稿したサマセット・モームの、実はこの点が真骨頂なのかもしれない。

「描かなければならない」という裡なる声にしたがって、新しい生を生きて死んだストリックランド。
ストリックランドの不可解な生き様に触れ、洞察力を深めていった語り手。
ストリックランドの天才を理解できたがために、妻の破滅を止められなかったストルーヴェ。
物語の途中には、将来の輝かしい地位と名声を約束されながら、旅先で自分の生きるべき場所を見つけ、その場で船を降りる決断をした青年医師の印象的なエピソードがはさみこまれる。
自分に呼びかけてくるかすかな声に、添い従った男の物語。
最後に待っているのが破滅であったとしても、「月」を追い求めずにいられなかった男たち。
サマセット・モームが描いたのは、そうしたものではなかったかと思う。


本についてあれやこれやと語った後には、恒例の夜の部となった。
パリでストリックランドがさんざん飲んでいたアブサンは、さすがに食卓にはのぼらなかったけれど、手土産にいただいた美味しいフランスのワインを飲みながら、ストリックランドすらが賞賛したストルーヴェの「トマトの汁気たっぷりの大皿のスパゲッティ」、そして秋茄子の味噌煮やカボチャのレモン煮、山盛りの人参サラダ、青豆のおにぎりに鶏モモ肉の味噌マヨ焼き、デザートには丸ごと一個のパイナップルとバナナ(残念ながらタヒチでなくフィリピン産)で、メンバーのお腹も満たされたと思う。

サマセット・モームが諜報員として活動していたこと、偽装結婚までした同性愛者であったこと。
ストリックランドの尋常でないセックス・アピールについて。
本文中に出てくる「涅槃」の謎。
ストリックランドはブリューゲルの何を好んだのか。
ストルーヴェの全方位的で無自覚な好意は、諸刃の剣だったのか。
ストルーヴェ夫人が、何か恐ろしいことが起こるとストリックランドに怯えた理由。
(私は、『欲望という名の電車』の主人公がストルーヴェ夫人と同じ名前であることを、何とかこじつけたくって仕方がない。)
そして、ロンドンで名士の妻として生き延びたストリックランド夫人の賢さ、したたかさについて。
かつての英国文学の王道であった、物語の最初と最後を同じ風にして円を閉じる手法、「○○と××」というタイトル、そして、冒頭で物語の全貌を語ってしまう序文の書き方。
まだるっこしく退屈で、多くの読者を退けてしまったであろう、冒頭の2章の必然性について。

こうして話は尽きることがなかったが、不思議なことに、物語の最後の舞台、楽園タヒチについては、さほど話題にのぼらなかった。
本読みという蛮族は、根本的に、安楽椅子に腰掛けて他人の不幸や辛い経験を傍観することに、無上の喜びを見出すのかもしれない。

やがて夜がふけて、皆がそれぞれの家路につく頃には、屋根の上に明るい半月が輝いていた。
人生がこんなにロマンチックであったなら、足元に転がった六ペンス硬貨など、誰も気がつかなかいことだろう。


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