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2017年08月20日01:53

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型を固定したコミュニケーションの理由

以前に安冨歩氏の著書を読んだ際に、自分が変化する事は行わず、型を固定したコミュニケーションを押し付ける事を「ハラスメント」の定義としていたのが、とても印象的でした。

お互いに相手を知り、より良い関係性を生み出せるよう協力するのは、理想的なコミュニケーションだと言えます。そうであるならば、自身の変化の取り組みを捨て去り、一方的にコミュニケーションの型を押し付ける支配が「ハラスメント」の本質である、と言う考えです。


この考えを読んだ時、自分の中で舞城王太郎氏の短編「スクールアタック・シンドローム」が思い浮かびました。
父子のやり取りの中で、父親が子供の問題への向き合い方の中で、「父親像っぽい事」を行い、その事を息子に咎められるシーンがあったためです。

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これはつまり、口ばっかりで物を言うなということだ。
役割で物を言うなってことだ。
本気で思っていることを言えってことだ。
そうだ、言ってることを本気で思えってことだ。
俺は今何を言った?

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今回「スクールアタック・シンドローム」を再読して気付いたのは、ここで描かれるディスコミュニケーションは、冒頭で挙げた「ハラスメント」のように、型を相手に押し付けるもの「ではない」という事でした。

どのように相手とコミュニケーションすれば良いのか、正解の「根拠」が自分の中に無い父親。
その父親が、知識による「○○像」のトレースではなく、自身の中にある思い、考えた事を根拠にした1対1で真正面からの取り組みが、その欠けていた「根拠」になるのだと気付く話なのだと考えました。


冒頭の例は、悪意を持った支配の方法論として相手へコミュニケーションの型を押し付ける事による「ハラスメント」です。
それとは別で、自身の中にあるものを根拠にした他者との向き合い方を知らない事が原因で、自分にも相手にもコミュニケーションの型を当てはめてしまう、と言う理由でのディスコミュニケーションも有り得るのだと感じました。

自分自身との向き合い方、自分自身の知り方が判らないと、結果として悪意で人を支配する方法論に近い歪んだコミュニケーションを取らざるを得なくなってしまう、と言う事です。



今回、再読によってこの事に気付いたのは、予感してもいなかった事なので、とても良い経験でした。

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