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2017年07月19日11:46

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三本の実のなる樹を失った老人の居直り

 失われたものを回想することはつらいことです。
 これは書こうかどうか迷っていたのですがやはり書きます。
 私のうちはさして広くはないのですが、田んぼの中の一軒家としてスタートしたのを幸い、建坪以外に若干の余裕があり、それを我流の庭として使ってきました。草花よりもむしろ樹木主体の庭です。
 そのなかで、食べることができる実をつける樹が三本あったのです。
 3月10日頃に花をつけ、5月10日ぐらいに収穫できるサクランボ、5月の末頃に収穫できる桑の実、そして、6月中頃に収穫できる琵琶、この三本がそれでした(という過去形で語らなければならないとは・・・)。
 この三本が、今年、一挙にして失われたのです。
 それぞれ、原因は異なるのですがそれが今年に集中してしまったのです。

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 まずは桑の木です。ご承知のように桑はお蚕さんを育てる樹で、虫たちに好かれることは知っていました。これまでも、しばしばそれに襲われましたが、その都度、殺虫剤などで退治してきました。
 今年、気づいたら、もう手の施しようがないほどの虫たちに侵食されていました。大木に育ってしまったこともあって、もう殺虫剤が届かないのです。あれよあれよという間に万余の小型の毛虫たちが湧くように現れ、すべての葉を食い尽くしてしまいました。
 ほかの植木にもと思ったのですが、やはり桑がいいようで、隣接するほかの木々は無事でした。ただし、行き場を失った毛虫どもがわが家の屋内にも現れたり、風に乗って隣家にまで姿を現すに至って、決断をせざるを得なくなりました。

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 「伐る!」がそれでした。もはや私の管理能力を越えてしまったのです。
 かなりの大木になっていましたから私では切れず、人を頼んだのですが、一挙に切ると倒れる折に建物を傷つける可能性があるということで、枝を払い、最後に幹をバッサリでした。
 
 枇杷の木も伐りました。伸びすぎた上方が風などで電線や電話などの引き込み線を損傷するおそれがあるということで、ついでに伐ってもらうことにしたのです。

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 サクランボの樹は寿命です。今年はほんの一握りの収穫があったのですが、もう、樹ぜんたいが枯れていて、なんともしようがないのです。

 といったわけで、一挙に三本の実のなる樹を失いました。
 桜以外は40年以上の大木でしたので、家の周りが明るくなりましたが、同時に、この時期に満喫していた緑陰も失われました。

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 花も実もない私の老いを象徴するような話ですが、実際のところはいささか違います。周辺から実がなる樹が消えたのなら、それに同化してションボリなどしないで、私自身の今後の開花と結実を目指したいと思います。
 周辺が語る老いの一般論、諸能力の減退などなどに対し、無理に若ぶって突っ張ろうとは思いませんが、かといってそれを内面化して周辺の期待通りみごとに老いようとも思いません。

 若かろうが老いようが、新しい一日は新しい経験、「私はすでに老いたから」などという観念とは関わりなく、今のコンディションを全開にして、今日という経験、明日という経験を生きてゆくつもりなのです。


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