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2017年02月08日00:02

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最強のふたり

2011年のフランス映画で、実話をもとにしている。本国で異例の大ヒット(フランス人の3人に1人がこの映画をみたとか)。日本でも公開されて話題になっていたと思う。昨日NHK-BSでやっていたので観た。

         



障害や差別を抱える人を、時として「遠慮」や「気遣い」が傷つけ、「無遠慮」や「粗野」が救うこともある。この映画を見てそんなことを思った。

気遣いや親切というのは常に上から目線である。成熟した人間が粗野な人間に、金持ちが貧乏人に、教養人が無知な人間に「してやったぞ」的に施す行動である。そういうものにうんざりしていたフィリップにとって、ドリスとの出会いは奇跡のような運命の出会いだったのだ。

原題の「Intouchables」は英語のUntouchables。直訳すると「触れることのできないものたち」であり、意味は「社会ののけ者」「差別をされる立場の人たち」ということになる。また「非難の余地のないほど素晴らしい者たち」という意味もあり、原題はこの二人のことそのものである。
「最強のふたり」という邦題のつけ方も上手い。

アフリカ系移民と障害者。貧民と大富豪。境遇も性格もこの全く相容れない両極端な二人が差別や偏見を超越して最強のコンビになっていく過程が「最強のふたり」という邦題にうまく込められている。

社会学者の好井裕明は『差別原論』の中で差別は『起こってはならないもの』ではなく『起こってしまうもの』として捉えるべきだと書いている。そして、人は当事者でない限り、差別は自分とは関係ない遠い世界のものだと考えることが多いが、そうやって差別を「自分とは関係のないもの」と捉えること自体が個々の差別をなくしていく営みを妨げていると言う。

この映画には昔も今もなくならない人種差別や移民問題、障害者問題がすべて凝縮されている。
差別は社会から永遠になくならないが、上から目線で無くしていく努力を、と訴えるより、自分の身近なこととして考えとらえ、同じ人間同士向き合うことが大事なんだとこの映画は教えてくれる。

性善説でなく性悪説に立っていい。それでも本音で語り合ううち、互いのいい部分を見つけることができる。相容れない相手だから遠ざけるのではなく、相手に関心を持つこと、対等に付き合うこと、それが分断を克服する第一歩なのだ。










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