mixiユーザー(id:24016198)

2016年11月03日12:51

597 view

英雄列伝

『ウォーナーの謎のリスト』で描かれる、日本の文化財を守ったとされる外国人。

極めて魅力的に紹介されたのが、ロシアの富豪の息子、セルゲイ・エリセーエフだ。
彼はパリ万国博で日本館を見物したのをきっかけに東洋に興味を持ち、19歳で来日、外国人留学生第一号として帝大国文科に学び、夏目漱石や谷崎潤一郎らと親交を結んだ。
6年間の滞在中は、神保町の書店街近くに住まい、「江利世夫」と名乗って歌舞伎に熱中し(女装のキモノ姿の写真まで残っている!)、全身で日本の文化を味わった。
帰国後に勃発したロシア革命でブルジョアとして投獄され、身体一つでフィンランドに亡命、やがてパリに移ってソロボンヌで日本文学を教え、50歳の時にアメリカ・ハーバードに移った。
日米開戦の後、彼はCIAの前身組織の顧問となり、米兵に日本の習慣を教えるなどしながら、アメリカに勝てる見込みはないから今のうちに降参しましょう、といった「日本人を内面から崩壊させるための」(ジョン・ダワー談)ビラを撒くなどの、所謂ブラックプロパガンダに協力する。
彼は、軍部に牛耳られる日本を黙って見ていられなかったのかもしれない。

東京大空襲で、神田神保町の古書店街は、奇跡的に被害を免れた。
これを、神保町を愛した親日家エリセーエフの進言によるものであるとする話が、古書店主らには広く信じられており、戦後そこで資料を猟渉した司馬遼太郎も、真偽のほどはともかくとして、著書で紹介している。
しかしこれもまた、映画の証言者たちには言下に否定される。
例えば、エリセーエフが所属したアメリカ戦略諜報局は、マッカーサーの最も嫌う組織であり、彼の進言が容れられるはずがないと山本武利は言うし、焼夷弾をばら撒く空襲で、皇居はともかく、木造家屋だらけの神保町の古書店街が燃えないようピンポイントで避けることなどできようか。
エリセーエフは、当時の数少ない日本学の権威として、エドウィン・ライシャワーやドナルド・キーンの師匠にあたるようだが、キーンからはかなり手厳しい批判も受けており、その途方もなく裕福な育ちと、恐らくは過酷な現実をうまくやり過ごす処世術などで、毀誉褒貶大きな人物だったのかもしれない。

映画はここで、神保町の古書店員が、出征先で学生時代に古書店街に通いつめた思い出を持つ上官と出会い、「貴様はこれから続く兵士たちにたくさん本を読ませてやれ」という伝言とともに、南方行きのリストから外されていた、という長い再現ドラマを挿入する。
些か唐突で、少々中だるみを感じる場面ではあるが、この場面があるがために神保町シアターでの上映が実現した、という面があるのかもしれない。
確かに文化財と言えば建築物や仏像、書画陶磁器のイメージがあるが、ここ神田古書店街にある膨大な書籍も、巨大図書館に匹敵するほどの知と文化の集合体だ。
ラングドン・ウォーナーも各地の図書館をリストに入れたが、神保町も充分それに値すると思う。


ウォーナーの力で京都は爆撃を免れ、日本の伝統文化は守られたという伝説は、別の人物の存在で、かなりの確率で否定できるようだ。

米陸軍長官ヘンリー・スティムソン。
彼は原爆投下に関する委員会の長でもあり、投下目標地点を決定するに大きな発言力を持っていた。
かつて新婚旅行で来日し、幸運にもベストシーズンの京都を満喫した経験を持つ彼は、原爆投下目標の第一に京都が挙がったことを受けて、京都をリストから外すよう強く主張したという。
(ただし原爆投下自体は、戦争の早期終結のために必要であったとはっきり肯定している。)
原爆の目標であったがために戦略的空襲を免れたこと。
そして、スティムソンという要人が原爆の目標から外したこと。
この2つの要素が、京都を最悪の状況に陥らせなかった理由となったようだ。
ふむ、京都は風水によって都に選ばれた地だと聞いていたが、これはけっこう実効的なことだったのかもしれない。


もう一人は、朝河貫一という日本人。
明治初期に旧二本松藩士の家に生まれ、早稲田の前身の東京専門学校を首席で卒業するが、賊軍の身では立身出世は叶わないと見て渡米、ダートマス大、イェール大で学び、イェールで日本人初の教授となった。
フランクリン・ロウズヴェルトの姪と結婚し、歴史学者として尊敬されたが、日米間の関係悪化をうけて、両国が戦端を開くことを避けるべく、親交があり、同じくロウズヴェルトの姪を妻に持つウォーナーと協力、日本の天皇に大統領親書を送るよう働きかけ、草案を書いた。
親書は実際に送られたものの、内容は当初の草案から大きく改ざんされ、しかも天皇の元に届いたのは、真珠湾攻撃に僅かに間に合わないというタイミングであったという。
朝河はイェール大学の卒業生でもあるヘンリー・スティムソンとも親しく、スティムソンは日本に関する情報を、朝河からさまざまに取り入れていたらしい。
生涯を米国で暮らし、数々の業績を遺した朝河を記念して、イェール大学には朝河貫一庭園が作られ、今も残っている。


岡倉天心の弟子で、日本の重要文化財のリストを提示したラングドン・ウォーナー。
若き日を神保町で過ごし、軍政を憎んだセルゲイ(セルジュ)・エルセーエフ。
京都の思い出を忘れられず、原爆投下を阻止した実力者ヘンリー・スティムソン。
そして、差別に耐えながら、あるべき日米関係を模索した朝河貫一。

我が国の文化を全面的破壊から守ってくれた英雄が、結果的に日本を蹂躙した強大な敵国にいたのです−− 
そう結論することが、冷静な考察の結果なのか、敗者特有の感情なのか、私にはよくわからない。
ただ、護るに値するものを我々は(そしてあらゆる文化が)確かに持っていたし、それらが歴史の中で部分的に失われることは不可避だとしても、手立てがある限り、それは護られねばならない。他者の手に頼らざるを得ないとしても。
この映画に登場してきた幾人かの「英雄」たちの行動は、キナ臭かろうが、青臭かろうが、確かに幾ばくかの力にはなり得たし、そうした努力の結果残された文化の力の上に、我々は今こうして立っているわけだ。
彼らに感謝をささげつつ、こうして残されたものを、精々大切にしようじゃないか。
そして、他所の国で破壊が行われていたとしたら、ツマラナイカラヤメロと言って、どこかの誰かの役にそっと立てたら、ホメラレモセズに、自分の中にだけある勲章にすればいいのだと思う。
映画で取り上げられた四名は、皆、そのようなことを考えていたのではないだろうか。



※映画『ウォーナーの謎のリスト』は、明日まで神保町シアターで、その後は11月5日から13日まで、東京都写真美術館で公開されます。

8 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する