カードやボードゲーム、そしてTRPGで毎月1、2回のペースで遊んでいるメンバーがいる。40代から20代の男性ばかり5名が初期メンバーでかれこれ2年遊んできたが、ぼちぼち関係者である20代や30代の女性も3,4名参加が見込まれ、調子に乗ろうという矢先だった・・・のだが。
20代の最年少のメンバーが40代最年長のメンバーを弄り過ぎて、ちょっとした感情的対立が発生したらしい。幸いにも既に解決に向かっているようではあるが。
なぜ伝聞系なのかというと私が退去した後に発生した事案を中心メンバーの1名が報告してくれたからである。
この報告を聞いて思ったことをちょろっと書いてみる。
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私自身、親しい間柄の友人相手に「弄り」を多用し「煽っていくスタイル」である。本来なら失礼で、場合によってはケンカを売っているととられかねない「きわどい弄り」というだけで決定的な対立にはならず、親しげなコミュニケーションとして成立することは多い。
要は「その弄り」を受け手が許容できるかどうかである。投げ手と受け手の人間関係や受け手の性格や価値観によるところが大きい、
以前、アドバイスについての記事で、投げかける側を投手、受け取る側を捕手、解決すべき課題を打者にたとえたことがある。
投げかけるアドバイス(ボール)は打者に打たれては(課題をクリアできないのでは)意味がない。かといって捕手が捕れない(受け入れられない)のでも意味がない。打者を空振りさせつつ、捕手が捕れるボール(アドバイス)を目指さなければならないわけだ。
「弄りだけが人間関係の決定的な対立にはならないということを教えてやる!」
「弄り」について同じたとえを一部流用する。「弄り」の場合は打者はいない。ただ、捕手の能力を知悉した上で、捕手が捕れるギリギリのボールを投げることで「親しさ」が演出される。「普通なら怒る言葉だが、俺たちこんなに親しいんだぜ!」となる感じだ。
サッカーで味方FWが追いつききれるか切れないかのきわどいスルーパスだとか、プロレスで相手が耐えきれるかどうかギリギリのえげつない大技を仕掛けるとかに通じるものがある。
投げかける側としては受け取る側の能力を信頼し、きわどいところを「弄る」わけだ。そこを見誤ると今回のような「事故」になりやすいだろうなと。
私は周囲に「私をよく理解してくれる人間」が多くなっている。加えて性格上、きわどい発言も多用するわけだが、親しくなりたいはずのコミュニケーション手段で仲が悪くなるという本末転倒なことは避けたいなと再認識した次第である。
最近はもっぱら相方の地雷を踏んでは爆死し、再構築という日々が続いている。痛い目を見ながらも、徐々に地雷原の境界線がくっきりと・・・いや、輪郭程度は見えてきている…と思いたい(笑)。
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