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2016年09月30日13:30

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K氏が書けて、伊藤まつさんが書けない理由

  「自分を見失う」という全人類にも通じる深い問題がK氏にはあり、時間はかかったが、書けた。でも、別の意味で深い問題があるはずの伊藤まつさんの件は書けない。理由も以下だと。
   いくら自分を見失っていても、K氏は僕にも心開いていた。構えた感じではなかった。でも、伊藤まつさんは終始訪問者全てに構えた感じだった。構えた感じならば、相手の心の中に入る気持ちにもなれない。又、訪問する側も同じだった。それも当然だと。訪問者、つまり、お客に対して構えない人はいるだろうか。僕もヘルパーさん含めて構えているし、当然だと思う。まつさんが仮に在宅者でも、僕と同じ年代でも構えると。実際、「若い時は全生園で保母をしていた」みたいなまつさん理解に必要な事は本人の口からは聞けなかったわけだし。それでも、せめて一緒に旅行すれば、近場でもその互いの「構え」は薄らいだかもしれないが、その機会も持てなかったわけだし。
   訪問介護はヘルパーさんも、利用者も「構え」の連続になるが、それと同じ構造が施設・在宅・療養所関係の訪問にはあるわけです。訪問ボランティアは続かないとよく聞きましたが、そんな事だったかもしれません。
  そう言えば、S園は医学とか、差別みたいな事があるから、それらに限っては書けます。でも、やはり、K氏みたいな深い掘り起こし文はムリですね。
  また、昔のボランティアたちは施設・在宅の別なく、訪問活動を非常に嫌う例が多かったですが、以上の理由だったと思います。難しかったわけです。
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