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2016年09月08日11:52

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「仕事」の意味のあいまいさ

  1979年くらいから一友人が僕などに「仕事をしろよ」と言ってきた。但し、「お金を得る事が仕事ではない。社会に働きかける事だ」と。意味が判らない人が多かった。
  中曽根政権になり、次第に僕にミニコミ話を持ち掛けるようになった。「中曽根は物凄い権力者だ。今に戦争する。だから、仲間を集めてミニコミしよう」。
  彼の言う「仕事」とは、時の権力者に対抗する運動を指していた。誰も判らなかったわけである。因みに、当時の中曽根が「不沈空母」と言ったのは、米ソが緊迫した影響であり、そこから考えないといけない。僕は高校時代から、時の政権を批判しても始まらない。それよりも社会構造が問題という考え方である。だから、次第に資本主義や共産主義、ファシズムなどにも関心を持ち、更には、偶然にも判った英国教会の件にも目を向けたと。
 以上の人の事は個人的な発想かもしれない。しかし、特に、1970年代の脳性まひ運動家たちの間では、当時の言葉で「障害者は働くな」が目立った。まだ軽度の脳性まひが多かった時代である。介護も必要ない脳性まひ者たちだが、歩ける人でも「働いても小遣い銭程度にしか得られない。過労で体を壊す例が多い。お金中心の社会だから、こうなる。中途半端な事は止めた方が良いから、働くな。その代り、健全者に対して強烈な自己主張をしよう」と述べていたのが印象的だった。後、障害基礎年金運動もしたわけです。
  歴史の一コマですが、無論、そう言った脳性まひ者たちも資本主義の根はしりません。でも、社会構造の問題に目を向けた事は評価できるし、先輩として評価もできるわけです。しかも、唯物的価値観が日本でも全盛の時代でした。唯物主義では本当に障碍を持つ人は生きていけないし、最後は資源を巡る戦争になり、健康な人も人権は消されるのかもしれない。唯物主義では今はなくなりつつありますが、クレジットと言う欲望を煽るものもある。それはしなくて良いのかもしれない。僕もしていません。
  絵や詩を書く障碍者も一方では多い。僕も子供向け文とか。人の本来の仕事は、農業含め、作ることですが、それが今は歪められて久しいです。農業問題にも言えますが、仕事とは何でしょう。「神と金とに同時に仕える事はできない」と聖書にもありますし。
  因みに、冒頭の人は資本主義にも反対の人です。会社は良くないとも言っていました。
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