彼らの中学・高校時代を考えてみました。教会全般に言える事ですが、ほとんどは一家で教会やその行事、旅行に行きます。親離れができません。自我が未発達になる。その場合、ストレートに自己主張ができず、何かの名の元に自分のやりたい事をしたり、意見を述べるようになるわけです。問題の人たちの目的もそれでした。僕の名を使い、色んな事をしたかったと。
思い出せば、僕や同級生たちも中学まではそのような事を度々した。友人や先生の名を持ち出しては自分の言いたい事を言うとか。それが収まったのは高校時代。また、高島平団地の子供たちにも見られた現象です。そのような事は誰でも子供時代は経験しているのかもしれない。多くの人は忘れているだけで。
ならば、親離れが何かの理由で遅れた場合は自我の発達もその分遅れ、大人になってもそのようにする事は十分あり得ますし、僕の件も事実でしょう。実際、その教派の人たちは主教やイエスの名を借りて、自己主張する傾向がある。たまたまそれが僕になっただけで。
例のS氏は諸々の教会についても「心が腐った人が多い」とか「組織の事しか考えない」など、述べていましたが、「心が腐っている」も以上の事だったのかもしれない。もし、S氏が83年ごろ、縁があっても、僕の教会行きには反対したと察しています。
僕が現人神みたいに見られたのも、一つには以上の事があったと。自我が未発達ならば、他人をまともに見る事はできないからです。本当に子供と同じと言おうか。ただ、教会の状況ゆえに、そのような人たちが集まっているわけだと。自我の発達が遅れた人達ばかりならば、愛どころではないわけで、身障の故H氏が愛されなかったのも当然だったと。故H氏もそこにいたら、結婚は本当に不可能でした。
他人や何かの名の元に自己主張や利益を求める事は、そのまま戦争の問題にもつながりますが、それは別の文に書きます。とにかく、原因が見えて、気持ちがすっきりしました。もう一つ言うと、僕が教会に溶け込めなかった理由も以上の雰囲気でした。当時の僕の言葉で、「封建的なものを感じた」から止めたと。何も封建制度ではなく、親子一体になっている教会の気風が合わなかったわけです。大きかったと。
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