先日、住所メモに目をやり、○子さんが目に止まったから葉書を書きました。住所が変わっていない事を願いますが、変わっていても最近はかなり届けてくれるようになっていますね。
○子さんは悪い男に貢ぎ、取られた人。金銭感覚がないのかもしれず、問題ですが、改めて考えてみるに、そのような人だからこそ、交友し、関わり、そうなった理由を一緒に考えだす必要があるのではないでしょうか。手紙を出す気になったのも、S氏の「関わりは大切だよ」という教えを思い出したからなのですね。仮に手紙が着かなかったとしても、僕の意識がまた変わりつつある証拠にはなるわけです。
今の僕が察するに、○子さんは「情に竿をさして流された」状態だったと思います。
又、S氏の教えの背後には内村鑑三、そのまた背後にはイエス・キリストがいますね。恐らく、「○子さんという迷える子羊にも目を向けなさい」というイエスの意志も働いたかもしれません。そんな事も思います。
M氏も思い出せた。これからはまた僕は変わるでしょう。
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