「正論だから強く言ってよい」というのは論理的だと思う。同時に「正論だから強く言う必要はない」というのも論理的だと思う。そして私はもっぱら後者を自分の方針としている。
正論で、しかも強く言われる相手の気持ちを思えばどうなるか?
理論で完封され、しかも批難・糾弾された場合、多くの人間は感情的な反応や誤魔化すような方向に走らざるを得ない。
「全くその通り、全面的に従います」という事例もなくはないだろうが、それは「正論」の時点ですでに成立する要件であり、強い批難・糾弾の効果ではあるまい。
ネット上の議論などでも自説に自信があるからこそソフトな物言いで十分なわけだ。第三者の印象も大きいし、論理的な前提が間違った場合に直せる余地も残る。
強く糾弾した後で自説に誤りがあった場合、例えば見落としていた前提があった場合に素直に訂正するのは極めて難しい。自説に固執・拘泥することになる。と、なればおよそ「論理的な態度」とは言えまい。
また、誰しも逆の立場になることがありえる。「ソフトな物言い」は相手に正論で言い募られた時の保身にもなるわけだ。
正論で相手に迫る場合の目的は相手に認めてもらうことだ。相手をやっつけることではない。ゆえにソフトタッチで相手に飲みやすくさせるほうが合理的ということだ。
なお、相手が動物チックなわからずやさんな場合はこの限りではない。論理は人間のものであり、理解できない動物に論理で迫るのは気の毒と言える。動物には動物への対応が別途必要だと思う。自分は最後まで人間でありたいものだと思う。
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