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2016年04月24日16:08

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花たちとS君宅への弔問

 先に書いたが、60年来の友人を亡くした。
 家族葬ということで葬儀には出られなかったが、昨日改めて弔問に訪れた。
 お供えと花を用意した。
 花屋では、「大切な友だったから」と余分な口を滑らせたばかりに、じつにていねいに花を選定してくれ、それで終わりかと思ったら、またまたていねいに梱包してくれた。おかげで、予定していた列車に乗り遅れた。

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 名古屋へ出て地下鉄。駅から住宅街を通って彼の家に。この道も若い頃からよく通った。
 数年前まで、正月は、親しい友人、小十人が彼の家に集まり、新年会、兼勉強会をするのが常だった。 その頃の足取りに比べると、どうしても重くなる。

 彼の家では、そのおつれ合いと彼の姪(この人ととも長い付き合い)とが出迎えてくれた。
 早速遺影に手を合わせる。それが置かれた部屋は、まさに、例年の新年会の部屋であり、同時に、私が延々飲んでいて終列車に乗れなかったりした折など、泊めてもらった部屋だった。

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 おつれ合いは、まず、彼の勉強の痕跡を見てくれとその書斎に案内してくれた。
 書籍類はみんな捨てろとのことで、ダンボールに入れられたものもあったが、彼が最後の入院をするまで勉強していたらしい書籍も残っていた。
 それには、マーカーやペンで傍線などが付されていて、それが3色や4色に及ぶ。それらは同時に付けられたものではなく、その都度のもので、彼が何度も何度も読み返し学んでいたことがよくわかる。

 かたわらに、私が送り続けていた同人誌があるのを見つけて、パラパラとめくってみると、私の小論の箇所にやはり傍線や書き込みがなされている。批判的なものが目立つが、それでも少しジーンと来た。
 というのはかねがね彼は、「お前の書いたものなど読みたくない。封も切らずに捨てている」と悪態をついていたからだ。ちゃんとこんなにていねいに読んでくれていたとは・・・。

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 夫人と彼の姪を交えてしばし思い出話を。夫人は、ティッシュの箱を抱え込んで、一言毎に涙を拭っていた。
 その話の中で、彼は生前、印刷されたものは残さなかったが、それでも最晩年はその意志があったようで、PCの中にそのフォルダがあるとのこと。それを一度送付してもらって、今後のことを決めることとした。

 何やかやで1時間半ほどおじゃましでお宅を辞す。
 帰途、地下鉄までの住宅街、立派なモッコウバラの生垣があった。しばらくゆくと慎ましい白い花が。卯の花かと思ったらちょっと違うようだ。それでも、ウツギの仲間ではないかと思う。

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 今池によって、彼とよく行った店で、彼といっしょに飲んでいた連中に合い、弔問の報告をし、彼の思い出を肴に飲んだ。
 少し過ごしたかもしれない。
 夜は雨だった。








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