ここ数年の将棋電王戦や最近あった囲碁のアルファGOVSプロ棋士を見て。
巷間によく見られる仮説で
「人間は線、流れで考え手を決める。対して
CPUは点、その場その場の最適解で手を決める」
というものがある。
私も大筋そうだろうと考えていた。
本当にそうならば、人間の『線の思考』は、
人間特有のミスでもしない限り
CPUの行う『最強の点の連打』に限りなく互角に近づかれはしても
凌駕されることは無いはずだ。
「線」を考えられないCPUとは『思考の次元』が違うはずだ。
ところがである。現実は予想と異なる結果となっている。
将棋の電王戦は昨年の団体戦最終回でこそ
やっと3勝2敗と人間が勝ち越したものの
その前2回は人間側は負け越している。
そして先日の囲碁についても「人間側はミスをしていない」
にも関わらず負けた。
論理的に考えるならば、これは仮説(前提)の誤りを意味している。
『人間の負け越し』と言う結果は人間側を応援していた私からすれば
信じたくない結果では有るが、感情によって現状認識が歪むとか
結論が変わるのは非論理的であり、愚かなことだ。
(ここで「感情ゆえに結論を変えたくない人」は現実や前提を歪めようとするわけだ。)
さて、もともとの前提は2つの部分で構成されている。
「人間は線(流れ、展開最適解)で考える」「CPUは点(場面最適解)で考える」
で、結論は「線を考えられないCPUに人間は負けない」だ。
まず「CPUが点で考える=戦で考えられない」と言うのがそもそも誤りなのだろう。
事実として「次に飛車を取れるが次の相手の手で自玉が詰む」という
「一手ばったり」な手を今のCPUは指さないのだから、
思考は「点」で終わってはいない。
「点」で終わる思考なら、その瞬間の最大利得に飛びついて
敢え無い最期を遂げるはずだ。
実際はCPUの読める範囲での近未来、発生する無数のパターンのうち
評価値が最も高い局面に通じる手を選ぶ。
つまりCPUの思考は「半直線」と言うのが正しいのではないか。
「過去は振り返らず、現在から未来のみを見た半直線」である。
CPUは過去の多数のデータを「経験」として保持はして、
これから指す手の指針にはしても、今現在の対局の過去の手は次の指し手には反映しない。
というか、そもそも「過去の手の流れ」を振り返るようにプログラムされていない。
これからの指し手を決めるのには不要だからだ。
つまり、あくまでも「現実を基点とした未来への思考」なのだ。
こう考えると人間の「線思考」の弱点も見えてくる。
つまり「過去の手の流れ」にまで囚われるがゆえに、
場面最適解をさせないことがあるわけだ。
「気合から行けば」「前の手の顔を立てるなら」というフレーズが該当するだろう。
「読み」以外の要素が入ってしまっているのだ。
人間は「今現在の勝負の直前までの手」も判断に含めてしまう。
ゆえに本当の最適解を得られないときがあるように思えた。
未来への半直線思考、これは「終わっちまったことは考えてもしかたが無い。
これからどうするかだ」と考える私の人生観にもよく似ている。
結果が確定してしまった過去の事でどうこう悩んでも、もはやどうにもならずムダなことが圧倒的に多い。そんな暇があったら、これからどうするのが最適かを考えるほうがよほど建設的だということだ。
自分の生まれが貧乏だとか、病弱に生まれたとか才能が無いとか。んなことは「過去に定まったこと」だ。
「どうすればお金を稼げるか」「病弱なりにどこまでがんばれるか」「才能Aはないが才能Bはあるからそれでどうするか」というように前、次、未来を見据えたほうが健全に生きていける。そういった次の指針を決める時に過去の歴史と言うケーススタディは役立てたらよい。だが、今現在の手の流れは今後の手を考えるには不要ということなのだろう。
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