mixiユーザー(id:7016667)

2016年03月08日23:19

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だから私は主張する

自己主張の苦手な人、あるいは主張が強すぎる人のためのコミュニケーション技術として「アサーション」と言うものがある。

要は「自分も相手も大切にしながら、自分の意見や考え、気持ちを率直に、正直に、その場にふさわしい方法で表現すること。」

「そもそも主張をしない、できない」だとストレスがたまる。自分の意見や不満を外部は知る由すらない。知りもしないことに配慮してもらえるわけもない。で、ますますストレスがたまる。

かといって攻撃的に強硬な主張、人格攻撃をするような方法だと相手や周囲を傷つけたり、反発を受けたりする。意見が通るかどうかも分からないし、意見が通ったとしても人間関係を損ねかねない(ネット上で言いがかりをつける人にはこのタイプが多い、まあ野良犬みたいなものだ)

そこでアサーション(上手に伝える技術)の出番となるわけだが・・・私の場合、アサーションにも違和感がある。 アサーションについてはネット検索すればいくらでも出てくるのでそちらに譲るとして。

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そもそも意見を出し合い議論をする目的とは何か?

私の場合は全体利益の最大化、全体損失の最小化、最適解の模索という「目的」があり、私の意見を出し、相手と意見交換するのはその「手段」に過ぎない。

アサーションはともすれば「自分の意見を伝えること」がメインのように見えるが、私の場合(仮にハナーションとでもしておこうかw) 「利益最大化」「損失最小化」「最適解」さえ得られるなら自分の意見が伝わらなくても構わない。まあ伝わったほうが目的に近づけることが多いので伝えようと努力はするが。

当然、自分の意見が否定されようがなんだろうが一向に構わない。一応、自分の意見が通って目的達成されれば自分の手柄にはなるだろうし、それはそれで存在意義を感じることはできるが主目的に比べれば些細なことだ。

私の意見よりも「目的達成」に近い意見があれば私は簡単に私の意見を放棄して(笑)その優れた意見を支持する。そもそも議論の目的は「勝ち負け」とか「手柄争い」じゃない。

逆に言えば私が主張を遠慮する理由がない。というか、話し相手を含め、私なりに「すべてに配慮した意見」を言っているという自信があればこそ、私には「主張を辞める理由がない」のだ。私の目的は「全体利益の最大化」「全体損失の最小化」「最適解の模索」なのだから。

だから私は主張する。

仮に自分の意見が間違ってても些細なことなのだ。間違ってるかもしれないなんて言う恐れもあまり無い。一応「間違えるとかっこ悪いなぁ」とは思うが自分はミスや間違いをするという自覚もあるし。

一方で上記の攻撃的主張をするような「動物(論理を理解できない、あるいは理解しようとしない)」相手には「議論」ではなく「調教」を行う。動物呼ばわりは別に相手をバカにしているのではなく、単に事実を指摘するに過ぎない。論理を理解できない相手に論理を主張するという「労力の無駄」を避ける。相手にできないことを強いるのは相手にとっても自分にとっても不幸なことだ。ゆえに行うのは「調教」になる。(調教については過去に述べているのでここでは略する)

一部に自分と異なる意見の相手を罵倒したり、馬鹿呼ばわりする人もいるようだが、私は彼らとは異なる。私と異なる意見でもちゃんと論理を理解する方は人間として扱い、尊重をする。逆に私と同じ意見でも論理を理解していない場合、気が向けば「指導」くらいはするかもしれない。

自分の意見に同調しないからという理由で相手を罵倒、攻撃するのなら程度の差はあれどISISと変わらない。
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