昨日は雨の中、土佐堀周辺をウォーキング。大阪市立科学館のプラネタリウムで「HAYABUSA2」を観たあと、地下鉄肥後橋駅上の大同生命ビルに広岡浅子の特別展示(無料)を見に行った。
広岡浅子は、NHK朝ドラ「あさが来た」のモデルとなった大阪の女性実業家。
彼女が創業にかかわった大同生命の大阪本社は、大阪の豪商・加島屋が店をかまえていた土佐堀に今も建っている。
フェスティバルホールの隣に位置し、、いまは近代的な建物に建て替わっているが、旧本社ビルは、あのWMヴォーリズが手掛けた。その遺構は2階のメモリアルホールの内装に残されている。この間、建て替え前の心斎橋大丸にヴォーリズデザインを見納めに行ったばかりなので、大丸百貨店もこんな形で素晴らしいヴォーリズの建築美を残してほしいと思う。
加島屋は、鴻池と並ぶ大阪の豪商で、米取引で財をなし、両替商を営むようになる。
浅子は、京都・油小路出水の三井家に生まれ、17歳で加島屋(広岡家)の次男・信五郎のもとに嫁ぐ。
そこから彼女の「女商人」としての快進撃が始まる。
彼女が28歳のときに産んだ一人娘亀子は、母と違って「女だてらに」実業をやるのを好まなかったようで、亀子の娘婿である恵三が、家業(銀行、生命保険業)を継いでいる。恵三は、播磨小野藩主であった一柳子爵家の出身で、大同生命の初代社長となる。
恵三の妹はWMヴォーリズの妻となった一柳満喜子。
恵三の私邸や大同生命の本社ビルの設計はヴォーリズが手掛けているが、その際通訳を務めた満喜子にヴォーリズが一目ぼれしたといわれている。
加島屋は浅子の商才で幕末維新の財政危機を炭鉱業で乗り越え、その後銀行業、生命保険業へと商売を広げていく。炭鉱主は夫の広岡信五郎。加島銀行の頭取は義弟の広岡九右衛門正秋。浅子は経営の先端に立ちつつも自ら社長に就くことはなかった。
加島銀行は1888年(明治17年)に創立されたが、金融恐慌で経営が悪化し1937年には廃業している。が、唯一加島銀行の池田支店であった建物が有形文化財としていまも池田駅前に残っている。今はインテリアショップになっている。
筑豊の炭鉱経営のほうは国に売却して官営とし、夫が社長を務めていた合弁会社・尼崎紡績は、のちにユニチカになっている。
さて、
いまテレビのほうは、女子行員を採用するなど女子の教育に熱心なあさ(波瑠)が、梅花女学校の教師だった成澤泉(瀬戸康史)と出会い、女子の大学を作るべく奔走するが、落ちぶれた同業者萬屋(ラサール石井)に恨みをかって刺され、生死をさまようという佳境にさしかかっている。
この萬屋襲撃事件は、ドラマのもとになった「小説土佐堀川」(古川智映子作)には出てくるが、実際に浅子が刺されたという史実はないようである。また、朝ドラでブレイクしたディーン・フジオカ演じる五代友厚と広岡浅子に親交があったかどうかという記録もないそうである。
まぁフィクションだから仕方ないのだけど。物語の展開はほんとうまくできている。
暴漢に刺されて生死の境を彷徨ったあさは、「おかあちゃんは一生死ねへんと思ってた」 と娘に言われるくらい質実剛健で「殺しても死なん」タイプ。そんな自分でも万が一死ぬこともあるんだと自覚し、生命保険業を立ち上げる???(笑)
さて、ドラマと史実とが一番違っているところは、子どもに関してである。
浅子の夫・信五郎は、妻のよき理解者であり夫婦仲も決して悪くなかったそうだが、浅子以外の女性との間に4人の子供をもうけている。その女性とは、浅子が婚礼の際に実家から連れてきた女中ムメ(通称:小藤)。
ドラマではその役はウメ(友近)にあたるが、小藤は浅子より5歳年下だったというから、小藤に匹敵するのは、信次郎(玉木宏)に想いを寄せつつ最後は番頭はんの求婚を受け入れた美少女フユ(清原果那)か・・。
浅子と信五郎の間には亀子という一人娘しかできなかったので(浅子が仕事に忙しすぎて)、たぶん浅子公認で妾を持ったのだろう。小藤との間にできた子どもたち(亀子の弟妹)と仲良く映っている家族写真が展示の中にあった。小藤との間に生まれた男の子(松三郎)はのちに大同生命の4代目社長になっている。
まぁしかし、広岡浅子が大隈重信、伊藤博文、西園寺公望ら政府の要人と面談していたり、
明治34年に創設した日本女子大学の2代目学長に渋沢栄一が就いていたり(初代学長は、成瀬仁蔵)、浅子が主宰おする軽井沢での勉強会(夏期講習)に、村岡花子や、小橋三四子、市川房江が参加していたり・・彼女の人脈のすごさには驚く。
ドラマはあと1月ほどで終わってしまうが、今後の展開が楽しみだ♪
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