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2016年02月13日08:43

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内田樹の大市民講座[読書日記562]

題名:内田樹の大市民講座
著者:内田 樹(うちだ・たつる)
出版:朝日新聞出版
価格:1300円+税(2014年12月第2刷発行)
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内田樹さんの本(43冊目)です。

前々回の読書日記に書いた『困難な成熟』の初出がメールマガジンだったのに対して、こちらは雑誌AERAのコラム。
900字以内に起承転結を収めるため、コラム一篇一篇がキビキビした論調です。

目次を紹介しましょう。
 第1講 大市民のための生き方・仕事論
 第2講 大市民のためのメディア論
 第3講 大市民のための国際関係論
 第4講 大市民のための教育論
 第5講 大市民のための政治・経済論
 第6講 大市民のための時代論
 あとがき 

いつものように、印象に残った文章を3つ引用します。
1.
「第3講」の「“外国人恐怖”を欲する末期的光景」から。
“社会制度の不調はもっぱら寄生的な外国人が国民が享受すべき権利と富を収奪し、文化を汚しているせいである、だから彼らを排除すれば、社会は原初の清浄と豊穣性を回復するであろうという思考法を「ゼノフォビア(外国人恐怖)」と呼ぶ。
 太古的な起源をもつ心的傾向だが、20世紀だけでもおそらく1千万人を超える人々がそのせいで死んだ”(90p) (2012年6月18日)
前回の日記に書いた『成長なき時代のナショナリズム』で萱野稔人氏が指摘している“若年層の排外主義的なナショナリズムの盛り上がりと、それに対する進歩的知識人の意識のズレ”という視点以外にも、外国人排斥の理由があるのかもしれません。

2.
「第5講」の「『不条理感』」を生む真犯人は誰か」から。
「経済のグローバル化によって、外国市場の変動や石油価格の上下によって、日本人の生活も影響を受けざるをえない時代になった」と説明したあと、次のように続けます。
“閉塞感というのは、おそらく「いくら一人でじたばたしても、少しも状況が好転しない無力感」のことではないかと思う。
 自分の個人的な努力が、自分自身の生活の向上に結びつかない。その「努力と報酬の相関」の頼りなさ。(略)
 それが「閉塞感」の実体ではないかと私は思う”(165p)(2011年12月19日)
“個人的な努力が、自分自身の生活の向上に結びつかない”という論旨に頷きました。

3.
同じく「第5講」の「自然科学誌が論難する真意」から。
“英国の総合学術雑誌「ネイチャー」が[2013年]9月5日の号で「核エラー」と題して、福島原発事故処理問題を扱った論説を掲載した。(略)
汚染水タンクからの漏水が東電の「無責任とは言わぬまでも不注意な」監視システムによって看過されたこと、当初「単なる異常」と軽視された漏水が実は事故以後最大規模の「真正の危機」であったこと、リスクを常に過少評価し、情報を小出しにしてきたことに論説は怒りを隠さない”(186p)(2013年9月23日)
「ネイチャー」がこんな論説を掲載したことを知りませんでした。
今も続く、福島原発周辺の汚染水問題を三年前から指摘していた慧眼はさすがです(と感心している場合ではないのですが)。

こういった文体のウチダ本は新鮮でした。

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内田 樹(うちだ・たつる)
1950年東京都生まれ。武道家、凱風館館長、多田塾甲南合気道会師範。
東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。
神戸女学院大学文学部名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論。
著書に『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『レヴィナスと愛の現象学』『街場の文体論』『ぼくの住まい論』『内田樹による内田樹』『修行論』『街場の憂国論』『邪悪なものの鎮め方』『街場の共同体論』『街場の戦争論』、共著に『街場の五輪論』『街場の憂国会議』『日本霊性論』など多数。

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