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2015年12月19日08:31

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ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い[読書日記554]

題 名:ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い
著 者:西寺 郷田(にしでら・ごうた)
発 行:NHK出版新書
価 格:740円+税(2015年8月 第一刷)
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音楽家:西寺郷田氏によるアメリカン・ポップス史と<ウィ・アー・ザ・ワールド>研究の本です。

タイトル『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』を本の見返しでは、次のように解説しています。
"1985年に発表された<ウィ・アー・ザ・ワールド>は、全米のスターたちが飢餓救済のためにあつまったチャリティ・ソングの金字塔として名高い。
しかし、もしこの曲がアメリカン・ポップスを「終わらせた」張本人だとしたら……。
映画音楽に始まるポップスの歴史をやさしく解説しながら、奇跡の楽曲が生まれた背景、その後にもたらされた「呪い」の正体を検証する!"

目次を紹介します。
 第1章 アメリカン・ポップスとは何か
 第2章 ディスコとMTVが、世界を混ぜた
 第3章 <ウィ・アー・ザ・ワールド>徹底研究
 第4章 華やかな夜の影で
 第5章 <ウィ・アー・ザ・ワールド>の呪い

主題は、第3章〜第5章の<ウィ・アー・ザ・ワールド>に関する分析と考察ですが、アメリカン・ポップスの歴史を繙く第1章〜第2章も興味深い内容でした。

「第1章 アメリカン・ポップスとは何か」から、3つ引用します。
1.映画と音楽の関係性の深さについて:
"商業的に成功した最初の長編トーキー『ジャズ・シンガー』の主演俳優を、ブロードウェイの人気歌手でもあったアル・ジョルソンが務めていることは、その後の映画と音楽の関係性の深さを暗示している"(31p)

2.ジョージ・ガーシュウィンが映画誕生とほぼ同時代に生まれていたことについて:
"ロシア系ユダヤ人移民の家庭に生まれた白人でありながら、黒人音楽に傾倒し、ジャズとクラシックの架け橋と言われる<ラプソディー・イン・ブルー>などの傑作を残したジョージ・ガーシュウィン。(略)
 彼は、映画誕生とほぼ同じ1898年生まれ"(33p)

3.エルヴィス・プレスリーの登場について:
"1956年1月28日に放送されたテレビ番組「ステージ・ショー」(CBS)で、あるひとりのシンガーが衝撃の登場を果たす。(略)
 その男の名は、エルヴィス・プレスリー"(36p)

また、第2章では、音楽専用チャンネル「MTV」が1981年8月1日に始まったこと(84p)や、その変遷が紹介されています。

さて、主題の第3章〜第5章も、著者の詳しい調査と分析、そして、なぜ『<ウィ・アー・ザ・ワールド>の呪い』なのか大変面白いのですが、すべてを引用できないので、ここではプロデューサーを務めた、クインシー・ジョーンズについての記述を3つ引用するだけにします。

1.
「第3章 <ウィ・アー・ザ・ワールド>徹底研究」から:
"この時期、名実ともに「世界最高のプロデューサー」の称号を獲得していたクインシー・ジョーンズでなければ、これだけのメンバーをまとめられなかったであろう"(102p)
2.
「第5章 <ウィ・アー・ザ・ワールド>の呪い」から:
"クインシーは年齢や人種のバランスを考慮し、慎重な判断の上でこの楽曲を作り上げた。ソロパートの差配を見れば、そのことがよくわかる。
 <ウィ・アー・ザ・ワールド>には、大きく分けて25回のソロのタイミングがあるが、黒人が12、白人は13とほぼ同数で分割されている"(198p)
3.
「あとがき」から:
"<ウィ・アー・ザ・ワールド>とは、プロデューサーであるクインシー・ジョーンズのそもそもの出自である「ジャズ」的な録音手法を、ふんだんに取り入れた奇跡のようなレコーディング体験だったのではないか、ということです"(201p)

<ウィ・アー・ザ・ワールド>が発表された1985年当時を思い出しながら、読み進めました。

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西寺 郷田(にしでら・ごうた)
1973年生まれ。
ノーナ・リーブスのシンガーとして活躍する傍ら、作詞・作曲家、プロデューサーとしても注目を集める。
また、80年代音楽に関する執筆活動でも人気を博す。
著書に『マイケル・ジャクソン』(講談社現代新書)、『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(近刊予定、新潮新書)など。

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