■不明同級生の情報、友人らネットで呼びかけ 高槻遺棄
(朝日新聞デジタル - 08月20日 07:29)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3574514
まずは死亡した方の冥福、行方不明者の無事を祈り、一刻も早く犯人が捕まることを願いたい。
さて、この手の事件が発生すると必ず発生するのが犯人以外への批判だ。この事件でいえば「殺人犯ではなく、子供を深夜徘徊させていた親」である。以前のいじめ自殺事件であれば「いじめてたこどもではなくSOSを放置した教師」である。
「犯人が悪いに決まってる!」
うむ、それは同意する。犯人の行為がなければ犯罪は100%発生しない。まあ、この表現は因果関係をひっくり返した一種のレトリックみたいなもので。正確には犯罪があるからには犯人がいるというべきなんだけど。
「犯人『だけ』が悪い。親や教師への批判はおかしい」
いや、ちょっと待ってほしい。犯人がダントツで悪いことに全く異論はないが、「だから周囲の親や教師への批判がすべておかしい!」というのはおかしい。
責任には種類がある。犯人の悪事をしたという責任のほかに、事件を防げる立場や地位にいたモノの責任だ。
スーパーで子供がお菓子を買ってくれと駄々をこねている。結果として店の商品を乱し、他の客の迷惑になったとする。
「犯人」に当たり、行為についての責任があるのは駄々をこねている子供だ。彼の行動を直接
制約するのが一番の直接策であり、応急処置となる。
ただ、子供が暴れることを制約する権限があり、義務を背負うのは親だ。立場上の責任とでもいうべきか。また、自衛のための行動を起こせるのは店の権利だ。応急策のみならず、恒久的な対策を行える場合が多い。
「その事象をおさえる義務がある(親)」とか「その事象を防げる権利や立場にある(店)」にも「責任」はあるのだ。「責任」と言う言葉のチョイスが微妙ではあるが。
たぶん、犯人以外を責めるなと言う方は「犯人憎し」と言う感情が強く出過ぎているのではなかろうか。むろんダントツで悪いのは犯人だが、だからといって「犯人だけが悪い」とはならんし、今後の対策のためには「周囲の環境的な責任」も考えたほうがよかろう。
木を見て森を見ず
と言うのは避けたいところだ。
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