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2015年08月15日23:57

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終戦記念日の食卓

画像はさつまいもの茎。この時期限定。スーパーでは売ってない。外皮を剥がすのはちと面倒だが、だしでさっと煮ると、ふきと間違うくらい美味しい。

私も嫁いでくるまで食べたことはなかったが、義母が炊いてくれたのを食べて、美味しいのに驚いた。
15年ほど前市民農園で野菜を作っているときに、さつまいもの茎だけをわけてほしいという人がいた。市場には出回らない(出回っても売れない?)ので、イモよりこの茎が楽しみでさつまいもを自作している人もいるんだとか。

先日、週2回和歌山から産直の野菜を売りに来るおじさんが並べていたので「ひょっとしてサツマイモの茎?」と聞くとそうだという。これは超レアだと思わず購入。

義母はふきのようにさっと炊いていたので、クックパッドを参考にしながら調理。
うん、これはもう蕗の味わい。冷やして食べてもおいしい。

戦時中は食べるものがなかったからさつまいものツルまで食べたという話は聞いたことがある。母は戦時中いなごを粉にして、いなごせんべいを食べたとか。
白いごはんとたまご焼きは、ごちそう中のごちそうだったとか。

父は、さつまいもやかぼちゃは米が食べられない戦時中いやほど食べたので、今もわざわざ食べたいとは思わん、と言って嫌っていた。

終戦から70年。

当時父は中学生。勉強そっちのけで軍需工場に動員された。食べるものがなくて農家出身の母親が実家に野菜や米をわけてほしいと何度もお願いに行ったが「お前は町人の家に嫁に行ったのだから」と一切わけてもらえなかったという。

母は小学校に入ったばかり。空襲で防空壕に逃げながら空から落ちてくる爆弾が花火のように見えたことを記憶している。大阪市内が危険だということで名張に疎開していたこともあるという。
両親とも戦争体験者だが、戦地に行ったわけではないので、聞いた話はそれくらい。

安倍首相の戦後70年談話は、非の打ちどころのない言葉づかいだが、心のこもらない談話だった。
過去の首相談話の3倍くらいの長さだったそうだが、内容は首相の言葉というより一般論的。
「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」、という4つのキーワードが入るかどうかに注目が集まっていたせいか、「はいソレ入れました!」的な・・・。

今日はお盆でもあるので、義父母のお墓にお参りした。義父が亡くなって15年、義母は11年になる。
義母は春によもぎを摘んでヨモギ餅を作ってくれたり、つくしのお浸しを作ってくれたりした。
さすがに私はよもぎやつくしは料理できないが、サツマイモの茎は義母と同じようにうまく調理することができてよかった。

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