「光にふれる」のチャン・ロンジー監督の長編第二作。ミステリー仕立ての高校生もの。
ネタバレは避けていますが、内容に対する評価を含んでいるので、これから見る予定の人はご注意。
ある高校の近くの路地で若い女性の飛び降り自殺死体が見つかる。発見者はたまたまそこを通りかかった同じ高校の2年の男子生徒たち3人。いじめられっ子のホアン(ウー・チエンホー)、活発なイエ(チェン・カイユアン)、優等生のリン(トン・ユィカイ)。
死んだのは同じ高校の3年生、シャー(ヤオ・アイニン)だった。警察の事情聴取を受け、高校のカウンセラーのカウンセリングを受ける過程で、それまで接点のなかった3人に繋がりが生まれる。
ホアンの提案でシャーの葬式に行き、彼女の母(リー・リエ)に会う。シャーの母が海外出張に出て留守になった家に彼らは忍び込み、彼女の遺品から彼女の死の原因を探ろうとする。
彼女のSNSへの投稿写真から、彼女の同級生チュウ(ウェン・チェンリン)がいじめていたと断定するホアン。SNSを駆使して情報を集め、連絡を取り合う3人。
チュウを告発はしないが、懲らしめてやろうと学校の裏の林に囲まれた池におびき出す作戦を考える。チュウをびっくりさせる作戦は成功したが、そのあと思いもかけない事件が待っていた。
そして、チュウは、イエに「自分はシャーをいじめたことなどない」と語り始める。
少女の自殺をきっかけに、その謎を解こうとする少年たち、そして、原因となったとされる別の少女への懲らしめという計画を経て、少年たちの行動の別の面が浮き彫りになっていく、そして関係者たちの間に新たな疑惑が浮かび上がってくるという構造。
いじめ、自殺、孤独、ネットに飛び交う噂、現代の若者をとりまくいろいろな要素を掬い上げている。
学校の裏山の木立の深い緑、きらきらとした水の色、夏の風が吹き抜けるような学校の校舎。そしてホアンとチュー役の二人以外はほとんど演技経験のなかった主演俳優たちの自然な演技。こういったところが高く評価されていることはよくわかる。昨年の東京国際映画祭でも話題だったらしいし。
でも、私にはちょっと拍子抜けというか、どこか物足りなかったなあ。
前作の視覚障害を持つピアニストとダンサーを目指す女性を描いた「光にふれる」がすばらしすぎたせいか。
あるいは、同じように高校生たちのある企みを描いたイー・ツーイェン監督の「コードネームは孫中山」で突き抜けた表現に出会ってしまったからか。
シャーはなぜ死んだのか。事故なのか、自殺なのか。自殺だとしたらなぜ、といったことに彼ら3人以外はあまり関心を持っていないみたいだったり、いじめを追及している彼らのうちの一人、ホアンがいじめられていたことについての描き方も足りないし・・・。
今回の上映にあたり、出演者の一人、シャー役のヤオ・アイニンが舞台挨拶に来日したそうだ。これは、日本人の写真家川島小鳥がデビュー前の彼女をモデルとした写真を撮っていた(写真集「明星」)ということから、話題作りに駆り出された感じ。というのは、ヤオはたしかにフォトジェニックな顔立ちで主演の一人には違いないが、「ヒロイン」というような役柄ではないのだ。
演技という点では、チュウを演じたウェン・チェンリン(ホアン役のウー・チエンホーとともに、数少ない演技経験者)が何といってもうまく、林の中を走る彼女の美しさはいつまでも印象に残る。
もう一人、印象に残る俳優はシャーの母親役のリー・リエ。「光にふれる」でもホアンの母役だったベテラン女優にして、「モンガに散る」「祝宴!シェフ」などのヒット映画を送り出している実力派プロデューサー(追記:「コードネームは孫中山」もだった)。
私は基本的に台湾の青春もの、高校生ものが大好きである。韓国の高校が暗く、寒く、暴力で痛いのに対し、台湾の高校は明るく、暑く、適度におバカで切ないイメージがある(テキトーです。両国ともそうじゃないのもあるんで)。韓国映画は、いじめや迫害にあった者のつらさ、孤独などの描き方がうまいと思う。
この作品も紛れもなく台湾の青春映画の系譜に連なるものだが、たしかに今までの台湾映画とはだいぶ毛色が違うとは言えるだろう。そして、私も嫌いじゃない。が、期待が高すぎたのかなあ。チャン・ロンジーにはもうちょっと頑張って欲しいと思ったのであった。次作は探偵ものらしい。
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