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2015年07月04日19:58

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ピアノの詩人と宝石の輝き

少年期,ドビュッシーの「月の光」と,坂本龍一の「戦メリ」との類似性に衝撃を感じて以来,音楽をクラシックだのポピュラーだの,ジャンルに分けて聞かないようになった。
というより,ジャンルに分ける必要が無かったと言うべきかも。

80年代の日本のヒットチャートの音楽やアメリカのMTV,60〜70年代のロック,そしてクラシック,ボサノヴァ,イージーリスニング,現代音楽,などなど。しかし,唯一,手を伸ばさなかったジャンルがある。
これだけは,常に自分にとって異質な音楽として「ジャンル分け」していたのだが,ジャズはどうにも苦手だった。
あの独特の三連のリズムや,裏拍・シンコペーションから来る独特の臭み,時に無駄・冗長とも思えるような,いつ終わるかも知れないアドリブの応酬,そして何より,ジャズと言えば,タバコの煙とアルコールの匂いの中で,したり顔で理屈をこね回す中高年男性のイメージがつきまとわっていた。

そんなイメージで食わず嫌いのまま,音楽を聞かずに闇雲に嫌ってはいけないと,ジャズに耳を傾けたこともあったが,やはり,独特の臭みはなじむことができなかった。

しかし,一人の,宝石の輝きのような音を放つピアニストを知ってから,その認識は変わることとなる。
「ジャズピアノの詩人」「美の探求者」「アメリカのショパン」「リストやラフマニノフの叙情と,ドビュッシー,ラヴェルの和声感覚を併せ持つ」など,様々な豊かな言葉で称されるビル・エヴァンス。

話はさかのぼるが,ドビュッシーやラヴェルの和声を学ぼうとしても,楽典楽理や,和声楽ではさっぱり理解出来なかった。それはそうだ。ドビュッシーもラヴェル(そしてその前の,彼らに多大な影響をもたらしたシャブリエやサティも),新しい未聴の響きを求め,禁則処理とされていた,ルールを超えたその先に,時に水面にキラキラと輝く波紋のような輝きを持ち,時に,単に「明るいメジャーコード」「暗いマイナーコード」といった二元論では語り尽くせぬような,悲しみと希望が入り交じったような多様な感情の機微を表現するための繊細で複雑な響き,だれもまだ耳にしていなかった未聴の響きを探していたのだから。

そんなとき,気付いたのだ,ドビュッシーやラヴェルの和声を学ぶなら,和声学ではなく坂本龍一やモダンジャズのコード理論からアプローチした方が早く,分かりやすいのではと。

実際,ドビュッシーもラヴェルも当時流行していたジャズに傾倒し,一方,独自の進化を遂げたモダンジャズが,新たな響きを得るため,ドビュッシーやラヴェルの響きに歩み寄た結果,両者が出会った場所にいるのがビル・エヴァンスと坂本龍一と思えるのだ(私見っす)

ビル・エヴァンスを最初に聞いたときの印象は,とにかく,ドビュッシーやラヴェル,そして坂本龍一でよく耳にした「あの繊細な響きが,ここでも聞こえる」というものだった。

その洗練された繊細優美で宝石のような輝きを持つ和声は,ドビュッシー,ラヴェル,そしてそのビル・エヴァンスや坂本龍一にもよく現れる。
例えば,こんな曲〜Bill Evans ’My foolish heart’↓
https://www.youtube.com/watch?v=a2LFVWBmoiw&list=RDz3Sm6zrzdC8&index=2
優美,洗練,典雅。クラシック,ジャズ,ポピュラーのジャンルを超えて,様々な言葉が頭をめぐるとともに,音が,響きが時空を超えて巡り会う「音楽の系譜」を感じずにはいられない。

(もし,鍵盤がお手元にあったら,下からド・ミ♭・ソ・シ♭・レと弾いてみてください。
ね,それっぽいでしょ。
もしお手元になかったら↓
http://www.piano-c.com/pianoChord_Cmi9.html
ドから数えて9度の音の「レ」を使うから,ナインス(9th)コード。
こういった,オクターブより上の音をハーモニーに加えることで,緊張感をもたらす和声をテンションコードというのですが,最近こんな具合に,クラシックの音楽を和声学ではなく,ポピュラーやジャズ理論からのアプローチで分析することにすっかりハマっています。
こうすると,クラシックも,ポピュラーもジャズも,同じ土俵の上で聴けるので。)

また,あれほど苦手だった冗長とも思えるピアノソロのアドリブパートも,まるで繊細優美な仮面の下に潜む微かな毒気,例えばラヴェルの「ラ・ヴァルス」のように,時に一瞬,感情の抑制が効かなく暴走する点と親和性を感じる。

ドビュッシー,ラヴェル,ビル・エヴァンスそして坂本龍一は,私にとって作曲家四天王,「ネ申4」ともいうべき存在なのだが,皆,表向きはシレッとクールなのに,仮面の下では,青白い炎が,音も立てずに燃えているようだ。

エヴァンスは優れたピアニストであると同時に,自作の,まるでラヴェルのメヌエットを思わせる典雅な曲もたくさん残している。最も有名なのは,恐らく,誰でも知っているこの旋律でしょう。〜Bill Evans ’Waltz for Debby’↓
https://www.youtube.com/watch?v=dH3GSrCmzC8&list=RDz3Sm6zrzdC8&index=3

で,こうなると,あれほど苦手だったジャズの持つ臭みも,だんだん慣れてきて。
それはちょうど,「朝ご飯は白米と味噌汁」って決めていた人が,急にバタートーストとミルクの朝食に切り替えたようなものか。最初はバタ臭さにとまどうものの,慣れてくると好ましく思える。

しかし,その宝石のような美しい音楽を残した彼は,破滅型の人生を歩んだ,苦難に満ちた人でもある。
自分の音楽を深く理解し,アドリブで返す,音楽で会話ができたバンドメンバーの事故死,長年連れ添った糟糠の妻同様の女性の,別の女性に心変わりした直後の地下鉄への投身自殺,そんな彼を常に励ました同様に音楽家の兄も自殺,黒人優位のジャズの世界にあって,白人であることへの逆差別・・・音楽にどっぷりつかって没入する彼のような(古い)タイプの芸術家にとっては,恐らく,現実の生活というのは,折り合いをつけるのが苦痛で,自分の大好きな音楽以外の余計な憂いに満ち,きっと生きづらかったのだろう。

クラシックのサンソン・フランソワ同様,「酒でも飲まなけりゃ,やってられない」「クスリに手を出さなきゃ,やってられない」となってしまったのは容易に想像できる。彼らの残した,魂を揺さぶるかのような音楽は,アルコールやドラッグなくしては生まれてこなかったのかと思わずにはいられない。
アルコールやドラッグという世俗の毒にまみれながら,あるいは世俗の憂さから逃れようとして,毒に頼ってしまったのか。

そのような破滅型の人生なのに,放たれる音は宝石のように美しいのか,いや,常に生きる意義,ピアノを弾く意義を探求し,その結果破滅型の「いばらの道」を歩む人の音楽だから心に響くというべきだろう。

その薬物にまみれた彼の人生は,よく「時間をかけた自殺」と言われる。
しかし私は,その見解には,絶対断固,異を唱えたい。
どこに,これから死のうというのに,ひたすら美の探求を極めようとする芸術家がいるのだ?と。
彼は,きっと死ぬまで,命の炎が燃え続ける限り,美しいピアノを弾いていたかったのだ。一瞬でも,一秒でも,バンドメンバーと音楽を奏でる時間をいとおんでいたのだと思う。
その身体は,長年の薬物中毒でボロボロになりながらも,死の4日前まで,コンサートのステージに立ち続けたのだ。

彼の死の2週間前の演奏が非公式ながら録音されており,16枚のCDとして聞くことができる。
その演奏は,死を目前にした彼自身が,もう残された時間は短いことを承知していただけに,美しさに加え,すさまじいまでの音楽と向き合う気力,気迫が伝わってくる。
そのタイトルは“Consecration”「捧げもの」・・・そう,正しく彼は音楽の神に,その命を捧げ,そして私たちに,遺産ともいうべきたくさんの繊細で美しい音楽を残してくれたのだ。

このタイトルを付けた方は,誰かは存じないが,その本質を突いた表現の鋭さに,敬意を表したいと思う。

どんなに世知辛い世の中にあっても,エヴァンスの残した,宝石のような輝きを持つ美しい芸術も確かに存在する訳で,どちらも同じ世の中の出来事の「表と裏,光と影」なのだなあと思わずにはいられない。

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