「事象の真偽」と「事象の好き嫌い」を同列に語ると滑稽で珍妙なことになるのは個人だろうと組織だろうと民族だろうと同じことだ。
「信じたいことでも虚偽は虚偽」であり。「信じたくないことでも事実は事実」だ。それを決めるのは客観的な物的証拠(できれば当事者ではない第三者提供が望ましい)であって、証人や証言の場合はその真偽を確認するまでは証拠能力は低い(意識的、あるいは無意識にでも自分に有利なウソをつきたくなるのが人間と言うものだ)。
誤った評価、歪んだ前提からは正しい結論や望ましい結果は出てこない。誰も好きで誤ったり歪んだりしたいわけではないが、それらはしばしば好き嫌いの「感情」から発生するものだ。
現状把握の時点では感情は不要だ。
方針判断の時点で感情を一部取り入れる。
対応行動の時点では感情をエネルギーとして利用する。
自分の権利や利益を主張する前に自分の義務や責任を確認するべきだろう。
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