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2015年03月08日17:23

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杉原千畝 心の叫び

「こちらの心がしっかり決まれば、まわりの状況は動き出すのです。」

リトアニア領事杉原千畝が、独断でユダヤ人に六千枚のヴィザを発行した事実は、最近の日本人なら誰もが知っている。
俳優・水澤(みさわ)心吾が杉原千畝の生涯を演じる独り芝居が、杉並区公会堂で上演された。
聞かない名前の役者だなと思ったが、古くは朝ドラのヒロインの相手役を務めたり、『ふぞろいの林檎たち』で小林薫が演じた中井貴一の兄役を続編で演じたりしていたらしい。


ポーランドから大勢のユダヤ人が、彼のもとへ助けを求めて押し寄せてきたのは、日本領事館がソヴィエトの要請でリトアニアからの撤退を余儀なくされ、閉鎖が二カ月後に迫った日のこと。
二日二晩悩みもがいた末に、日本政府の命令を退け、自分と家族の危険を承知で独断でのヴィザの発給を決意した杉原は、ユダヤ難民のソ連本国通過の了承を取り付けるため、ソヴィエト公使館を訪れる。
するとソ連公使は、杉原に向かってこう言うのだ。
「あなたのロシア語は、まるでロシア人そのものですな。
よろしい。通行を許可しましょう!」

そもそもリトアニアの日本領事館閉鎖を迫るソ連が、この情勢下で単純に彼らの本国通過を許可したものかどうか、実際には両者の間でどんな交渉があったのか、私はまったく事情を知らないし、舞台はそれを語らないが、杉原はただ一言、客席に向かって、冒頭に挙げた言葉をいうのだ。
自分の決意さえ固まれば、おのずと状況に変化がおこる、と。

それから一カ月間、腕の痛みに耐えながら、机に向かって半ば中腰で懸命にヴィザを書き続ける場面が、舞台上でいったい幾分の間続いたろうか。
その間客席の我々も、ともに杉原の苦しみと祈りを分かち合う。

日本の敗戦後、収容所暮らしを経てようやく帰国を果たした杉原は、外務省を追われ、幼い息子を亡くし、失意の日々を送る。
イスラエル大使館が外務省に杉原の消息をたずねても、返ってきた答えは「該当者無し」というものだったという。
我々が杉原千畝の仕事を知り、外圧の作用でようやく日本政府による名誉回復が発表されたのは、それから50年以上たってのことだった。

歴史において、このように助けられたのはユダヤ人に限らないし、非常時に勇気ある決断をして実行に移したのは杉原独りではなく、後になって命の恩人を探し出して顕彰したのも、ナチのホロコーストの被害者ばかりではない。
けれど、水澤心吾演じる杉原千畝が、客席に座る我々に投げかけてくるメッセージはどれも普遍的で重い。
勇気を持つこと。自分にしかできない決断をすること。報いを求めないこと。そして逆に、報いることの大切さ、重さ。
自分には何ができるだろうか。
自分は今、何をしなくてはいけないのだろうか。
そんなことをずっと考えながら、この舞台を観ていた。
決意するというのは、大切なだけに、むずかしい。
けれど、腹を決めなければ、何も動いてくれないのかもしれないな。

ヒットラーの演説ビデオで始まる舞台は、照明や演出の方法もつたなく、いかにも手作り風で洗練とはほど遠い。
また、日ごろ舞台を見慣れない観客は、役者の大仰な身振りに違和感を覚えるだろう。
上演後に水澤は、きわめて寡黙であったという杉原氏の心の叫びを人々に届けるために、敢えてデフォルメした演技を選択したと語った。
2008年に、60歳を目の前にしてこの独り芝居の上演を始めたという彼は、役者としてのキャリアの終盤に来て、心から打ち込める作品を演じ、残したかったのだろう。
(それが、彼の「決意」だったのかもしれない。)
ならばいつか、「寡黙な杉原」の、その強靭な精神を、静の力の凄まじさを、ギリギリまで抑えたひりつくような演技で表現してもらえないだろうか。
年齢を重ねて、もう一歩も二歩も踏み込んだそんな演技の舞台を作れたら、その時にまた足を運んでみたいと思った。


『決断 命のビザ 〜SEMPO杉原千畝物語〜』はこのあと、5月8日、7月11日、9月4日に内幸町ホールでも上演予定。
当日3500円、前売り3000円となっていますが、今回の公演は、最寄り駅の駅ビルに入っている書店で前売券を2000円で販売していたので、次回も何かの措置があるかもしれません。
ご覧になりたい方は、主催者に問い合わせることをお勧めします。
電話口では大変丁寧な応対をしてもらえました。
http://www.misawashingo.org/chiune_mono_top.html

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