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2014年05月02日23:14

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屋根裏部屋の博物館

「アチックミューゼアム」のことを知ったのは、だいぶ前に池澤夏樹の何かの本を読んだときだった。
渋沢栄一の孫である渋沢敬三は、戦前は日銀総裁なども務めたが、家業の国家的財界人として活躍するかたわら、趣味または学業として自宅物置の二階に小さなミュージアム(アチック=屋根裏)を作って仲間とともに日本の民具を蒐集・研究し、その後の民俗学に多大なる貢献を果たしていたという。
池澤夏樹は、少年の頃、友達に誘われて、このコレクションを観た記憶があるらしい。

少し前に、ETVのプログラムで渋沢敬三を取り上げたのをたまたま観ていて、わが相棒はちゃぶ台の前で唸りながらこう言ったものだ。
――金持ち、かくあるべし。
日本民俗学黎明期のキイパースンといえば、宮本常一や柳宗悦、柳田国男といった名前が私でもすぐ浮ぶが、大澁澤家の当主もその一人であったというわけだ。


埼玉県立歴史と民俗の博物館で、そのアチックミューゼアムに関する展示があると聞いて、大慌てで駆けつけた。
調べると、Jリーグ大宮アルディージャのNACK5スタジアムのすぐ近く、大宮公園の中ではないか!
大宮公園は、NACK5スタジアムの他にも、野球場、動物園、競輪場、弓道場、池、陸上競技場などが集まる娯楽コンプレックスで、すぐ近くには盆栽村やラブホテルも完備した、昭和のレジャーランドだ。
たどりついてみると、なるほど、大木の生い茂る森に囲まれた静かな場所で、その場で発掘された弥生式住居の再現などもしている。
いかにも高度成長期に作りましたという雰囲気ムンムンの大きな建物で、前川國男の設計であるらしい。


「屋根裏の博物館」という蠱惑的なタイトルのこの特別展は、昨年の大阪万博公園にある国立民族学博物館での特別展の巡回展示にあたるが、渋沢家ゆかりの地で、敬三が愛好した深谷市血洗島(ちあらいじま)の郷土芸能の紹介や、渋沢一族の紹介にも重点が置かれている。
渋沢家の総領息子で敬三の実父篤二(あつじ)は、趣味や女遊びに明け暮れたあげくに廃嫡されたそうだ。
敬三に長男が生まれた際に、一家四代ならんで撮った写真があったが、鷹揚に見える栄一と恵比寿さんのような敬三の間で、洋装で肘掛け椅子にかけた篤二の風貌はいかにも甲斐性なしの風采で、ああ国を背負って立つ事はこの人には到底無理だなと妙に納得させられるものがある。
栄一さん、あなたの決断は、多分正しかったのだと私も思います。(笑)

そんな偉大な祖父と、公人としてはダメダメだった父の血を受けた敬三は、父の影響か少年の頃から「腕白倶楽部」なんていう同好会を作って同人誌を出したり、自宅の潮入りの池でサカナ類への興味を募らせたりしていたが、19歳の時に父の廃嫡を受けて、祖父の命で経済人として立つことを余儀なくされた。
帝大を出てからは、銀行家としてしばらくロンドンに住み、帰国後は日銀総裁となるなど財界の王道をしっかり進む傍ら、学生時代に仲間と始めた民俗学研究も継続し、書籍や月報を発刊し続け、地方に調査に赴くこともしていたようだ。

なんといっても、渋沢敬三の顔が好きだ。おっとりと品よく、福々しいことこの上ない。
戦後しばらく公職を追放されて畑を耕したり、税金を払うために屋敷を手放したりと、その地位なりの苦渋は舐めているが、やりたい事と、やらなくてはいけなかった事の両方を、自分のスタイルでやりきったのだろうな。

そんな敬三が若い頃自ら収集した数々の絵馬や、全国各地のダルマ(これが凄い!)、アシナカといわれる足の半分のサイズの草鞋、背負子、男根(!)、刺し子の着物など、あの頃だからこそ集めることができたような民具が展示されている。
ちなみに「民具」という言葉は、渋沢敬三が名付けた名称であるそうだ。
アチックミューゼアムは、その後保谷市の日本民俗学会付属民族学博物館の前身となり、1962年の閉館後は、大阪のみんぱくに移管され、重要なコレクションとなっている。
池澤夏樹は、保谷の博物館閉館後の保存庫のような場所で、そのコレクションを観たのかもしれない。

アチックミューゼアムのコレクションと、埼玉の渋沢家にまつわる資料を一通り眺めて企画室を出ると、今度は広い館内に10幾つもの部屋にまたがって、石器時代から昭和までの展示室が連なっている。
午後は毎時間ボランティアによるミュージアムトークが設定され、時代ごとに得意とする年配者が館内を説明してくれる。
博物館敷地内も含め、近隣には相当数の遺跡が発見されているようで、特に古代の発掘品の展示のボリウムがすごかった。
土器や埴輪、銅鐸など、ジャンジャン出てきたらしい。

結局お昼を挟んで4時間近く、この人気の少ない博物館をウロウロと観て廻ってしまった。(まぁ、いつものことだが。)
NACK5スタジアムのすぐ近くには、「土器の館」という、これまた大変気になる資料館があり、試合のある日は駐車場として使われるため開館していないので、この日にこちらも観ようと思っていたのだが、気がつくともう閉館時刻が迫っており、宿願は果たせなかった。
ここでさえ、こんなに凄い土器や石器があるのだから、「土器の館」なる場所には、どれほどのコレクションがあることやら。
平日しか開いていないのだが、一体いつになったら見学が叶うのだろうかしらん。(笑)

埼玉県立歴史と民俗の博物館は、いかにも時間に置き忘れられたような外観と什器、ビーフカレーやナポリタンやソフトクリームが大いばりでデンと構えるレストラン、働いてるのはおじちゃんやおばちゃんばっかりという、一見かなり期待値を低くせざるを得ないような時代遅れの博物館に見えたが、どうしてどうして、巡回展示の見せ方の工夫や、ボランティアの活用、ポスターや割引券つきチラシの配布、県のマスコット・コバトンがそこかしこで活躍する説明板など、できることから積極的に取り入れて運営しています、また来てねー!という、清々しい意気込みの感じられる、意外に居心地のいい場所だった。
出口の脇には、使用済みの入れ歯の回収ボックスも備え付けてあり、これへのコメントはなかなか困難を極めるが、それでもまた面白そうな企画展があったら再訪して、古墳時代の常設展示と会わせてもう一度ゆっくり観てみたい。
そして、帰りには、ぜひとも「土器の館」に立ち寄るのだ!
・・・と、決意を胸に、東武野田線改め、アーバンパークラインに乗り込んだことであった。


特別展『屋根裏部屋の博物館』は、5月6日まで
http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/?page_id=342


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