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2014年02月02日16:17

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週報(14/01/20〜) 古賀政男音楽博物館

「ぐるっとパス」での博物館めぐりも終盤に近づき、今まで遠かったので行かなかった場所へも無理していくようにし始めた。
前々から気になっていた「ぐるっとパス」での唯一の音楽博物館である、古賀政男音楽博物館へ足を延ばした。
 
千代田線代々木上原駅目の前という立地の良い場所にあった。
あのJASRACの隣に位置していた。というよりも、JASRACの敷地が博物館と言った方が正解なのかというような感じである。
(実際は旧古賀政男邸の建て替えの時にJASRACが入った)

博物館というよりも、けやきホールの入口から入った。
まずは係員の方の案内を受けて、博物館を見て回った。
円形の建物の中身は、大衆音楽殿堂入りした人たちのパネルが飾られていました。
その後は古賀政男邸の復元と歴史年表と資料が並んでいました。
意外にも並んでいただけと言った方が良いくらいで、ただそれだけという感じで物足りないくらいでした。
 
その代り特別コーナーとして飾られていた「楽譜ピース」コーナーの方が面白かったくらいです。
戦前・戦中・戦後の古賀メロディーが使われていた作品の楽譜ピース(楽譜本)の表紙がずらっと並べられているだけです。
ただしその絵が中国風・韓国朝鮮風な部分があるのは納得できたのですが、
中にはイスラムのモスクが書かれているものまであり、戦中の人達の日本領土の意識はどれ程まで広かったのかと思ったくらいでした。
(戦中の絵としては、大東亜共栄圏がらみの絵では見たことがある程度)
 
古賀メロディーのデータベースから作品を聞くことが出来るブースもあったのだが、楽譜ピースのコーナーで気になって仕方なかった、神楽坂はん子「ゲイシャ・ワルツ」「こんな私じゃなかったに」の2曲を聴いてみた。
何処をどう聞いても間違いなくお座敷歌で日本調の作品である。
意外だったのが、この作品が世に出たのが昭和27年と戦前作品ではなく、戦後作品であることだった。
戦後作品として、お座敷歌がヒットする土俵が残っていたのが驚きだった。
それも江利チエミの「テネシー・ワルツ」に対抗して作られたのも驚きであった。
 
よくよく考えれば、戦後急速に入ってきた新しい音楽について行けない人達が、昔の時代の作品を好んで聞くというのは何時の時代にもあることである。
それがたまたま、戦前歌謡でありまた軍歌であったのだろう。
昭和27年ならば、戦中といってもまだ10年も経っていないのだから当然である。
それが、昭和30年後半頃にあった懐メロブームにつながっていく流れの中心になるのだから…。
 
後々調べて分かった事だが、"神楽坂"の地名が有名になったのは、神楽坂はん子が有名になってからとのこと。
だから花街的な雰囲気が今にも残った理由なのだと分かる、意外な歴史だった。
 
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写真: 古賀政男音楽博物館
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