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2011年07月03日12:50

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【東日本大震災】南三陸町ボランティア活動2011年6月(4)

 28日、4日目は朝方こそ曇っていたものの、日射しが強くなって昼過ぎには暑くなった。

 この日は『JHP・学校をつくる会』で同じ隊で来た人達と一緒に志津川高校での避難所支援である。この志津川高校は高台にあって被災地から見上げるように場所にあり、津波は被らなかった。
 その体育館が避難所と物資集積所になっていていて、運動場には仮設住宅が建てられている。

 ここでもハグさんと言う、4月にお会いしたボランティアさんに会う。彼女も入りっぱなしであり、志津川高校のボランティアリーダーの様になっている。
 
 この日は、まずペットボトルのミネラルウォーターを保呂毛集落へ運んだ。ここを含めて水道が回復していない地域が多いのだ。
 ちなみに保呂毛は「ホロッケ」と読むそうだ。下の地図では左の方の山の中である。
 近畿の生コン労組の人達が運転するトラックで運び込んだのは集落の集会所。そばに沢があって、生活用水はそれを利用しているらしい。
 水を運び込んだのに、集落の人から水の差し入れをもらってしまった。


 そこから戻って、志津川高校で被災者やボランティアの寛ぎの場所としてのカフェの説明を受ける。ここでも4月にい会ったボランティアセンターでPC入力作業をしていたスイトウ君に会う。彼も何回か来ていたそうだ。
 
 昼休みは高校の食堂。そこが被災者、ボランティアの食堂にもなっていている。私達は持ち込んだおにぎりをお昼ご飯にしたが、菓子パンやカップ麺、ミネラルウォーターが支援物資として提供されていてボランティアも食べられるようになっている。
 ここは『災害ボランティアセンター』からのボランティアだけではなく、ここを拠点に活動する組織のボランティアもいる。こういう場所が大規模避難所など幾つかある。

 お昼休みを挟んで、避難者が使うマットの清掃。ダニ取のために掃除機を掛けて除菌ペーパーで拭く。これを体育館で行ったが風通しも悪く暑い。
 その後は支援物資の衣服の整理。整理と言っても梱包である。
 これらの衣服は、既に何回も被災者が選んで必要な物を持って行った残りである。今はもう使えない冬服はしょうがないが、使われそうにない衣服も沢山あった。例えば工場で着るような事務服や作業服は新品ではあるが袋から出されないまま残っている。
 また、子供服も沢山あるが、もともと子供が少なく、また子供は比較的に南三陸町から避難した子が多いので使われなかったようだ。
 それらを再梱包して、物資集積所のスペースを拡げた。
 
 実は志津川高校に避難している人は、志津川高校の仮設住宅には入っていない。そのため「悪い噂」が立っているのを耳にした。
 まさかと思ったが、確認すると仮設住宅の抽選は公平に行われていて「情実」が入る隙はない。志津川高校の避難者が入っていないのは全くの偶然であり、ここから別の場所にある仮設住宅に移った人もいる。
 しかし、「悪い噂」は拡散する。真に受けた訪問者やボランティア等が周囲やネットで拡げて、そうすると、更に真に受けた人が町や何処かに抗議して来たりするそうだ。
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