会期の初めには完成していなかった"Man"も二日目には内部に入れるようになった。 「空飛ぶ円盤」なのでそれにちなんだ物がある。 やっぱり、"Burning Man"の象徴は"Man"だ。 そして、"Man Burn"は"Burning Man"最大のお祭り騒ぎである。 "Man"を安全範
今年も衣裳を着て歩いていると沢山の人に声を掛けられたが、その言葉が、英語が判らないのが残念でしょうがないのだが、去年とは違う様だった。 また、去年のを覚えている人もいて、中にはスマホの写真を見せてくれる人までいた。 ちゃんと、去年と今年の
大井町線の車窓から見た景色の場所、等々力渓谷のゴルフ橋の上流に行ってみた。 大井町線が川を超えるところに小さな広場があった。しかし、小さな入口から入って橋を渡らなければならないので、入る人が少ないのか、草茫々であった。 写真は大井町線の線
カルボナーラ風。着想は良いと思ったが、実際作ったら駄目だった一例。 卵の黄身のトロミを絡ませた卵かけごはんの味を目指したのだが。 玉子一個をパスタを茹でる鍋で茹で、沸騰したところで取り出して、若干白身が固まった状態のを卵から掬い取り、オ
続き4. バーニングマンはその参加者にカタルシスを与えるような経験になりうるが、真性の信者たちにとってはそれ以上の経験である。彼らにとっては、バーニングマンは社会的・政治的運動のようなものでもあると、ラリー・ハーヴィーは現在説明している。バ
"Burning Man"についてに議論のたたき台になる記事。"BLOUIN ARTINFO"Ben DavisPublished: 2013年2月02日『バーニングマンに向け、身を屈めて:対抗文化祭の進化と退化』炎に呑まれる30分前、バーニングマン中心にある全長12メートルの木像が空を敬礼す
「噴飯もの」を正しい意味で理解していなかった。 怒りではなく、笑いであったか。 しかし、この調査で「間違った意味」が定着してしまっているかのような結果も示している。 「流れに棹さす」は間違った意味が6割で6年前でもそれは変わらない。もし
"Burning Man"において「祈りの場」となっている"Temple"。 ここには人々が様々な「想い」を持って集まって、静かに祈りや瞑想をしている。 いたるところに沢山の「想い」が書かれている。 「私は帰って来た」と帰って来た感謝と喜びを込めて書き記した
在日外国人に対する「ヘイトスピーチ」への対抗として、それらを含む様々な差別に反対するパレード『差別撤廃 東京大行進』が新宿であったので、『猫森集会』の前に参加した。 「デモ」と言うより「サウンドパレード」と言った方が良い。音楽を流しながら
見知った顔を観ながらのコンサート。無論浩子さんやAQさんは見知っているが、旧くからの友人である坂本さんの顔だ。久々に逢った。 すみません、今年の『猫森集会』のゲストを確認したのは、先週だった。ゲストで『猫森集会』に行くかどうかを決めえて
今日は『猫森集会 2013』のひとまずの千秋楽。もうひとつの「千秋楽」は10月の青山円形劇場。 『猫森集会』に昨年に続いて各プログラム一日づつしか行かなかった。 千秋楽だけは浩子さんの出待ちをする。 その前に『SFと未来像』展も観に行く。
プラヤで毎日、これら だけを食べていたのではない。 "Burning Man"には様々な食べ物・飲み物の"Give"がある。 毎日、どこかで何かしら食べて飲んでいた。 例えば、これはラーメン屋さん。中華系の人達のお店でインスタントラーメンを丼で供していた
今回はひとりでと書いていたが、むろん全く独りではない。"Burning Man"を切っ掛けとして知り合った人達と会い、助けられ、"Give"を受けている。 そうした人のひとり、初めて"Burning Man"に参加する人に準備の頃から"Burning Man"の様子や何を用意するか
大槻ケンヂさんと言えば『筋肉少女帯』で、「日本を印度にしてしまえ〜」などと叫んでいた。 このプログラムでは浩子さんが叫ぶのかと思ったら、それはなかった。 大槻さんが自分の歌を歌い、その後はお互いの歌を歌った。 まさか、いきなり『おはようご
今まで豆を料理していなかった。やはり扱いが面倒に思われたから。 「ひよこ豆の水煮」が安かったので、豆料理の練習で買ってみた。 「ひよこ豆カレー」にしてみた。カレーの具として入れてみただけだが、美味しくなった。 ところで、水煮は水を切って
鶏胸肉2kgを久々に買った。7枚であった。 1枚を味噌焼き、1枚をシンガポールチキンライス風、2枚を蒸し、3枚〜その内1枚は人参詰〜を玉葱炒め、大蒜、赤唐辛子と一緒に煮込んだ。 蒸した肉は、味があるので、素麺やパスタ、焼き飯の具。蒸し汁は
"Burning Man"で出会った人からメールが来た。 2012年のファッションショーの舞台裏での写真を添えて。 今年、そのファッションショーには出演しなかったが、今年も逢ったので、名刺を思い出して送って来てくれたのだ。 その終わりに、2014年に逢いまし
ハープの朝川朋之さんがゲスト奏者。 M−6の『さよならDINO』から登場。 ハープを活かしメロディアスな曲目。 そして、曲と曲の間をハープで繋いでいる。 朝川朋之さんは21年振りのゲスト。前は青山。 21年前に来た人いる?という浩子さんの問い
今日のお出掛けは大雨対策仕様にした。当然日射しは弱い。 ひざ丈の赤いバーミューダーパンツに半袖の赤地のポロシャツ。足元はサンダル。 半袖半ズボンで外出なんて小学校以来、40年振りか。 パンツは旅行での水着に買った物だから、国内では履いてい
歩いていると沢山の人から写真を撮って良いですかと訊かれて、その殆どに応えた。 そして、撮られる時はこの写真と同じ様に持っていた荷物〜左の方の地面にある〜を腕から外して、帯を整えるために一回グルッと廻ってポーズをとった。 何回頼まれたのか
"Facebook"で知らせてくれた映像。 4:45辺りに写っている。 いつどういう状況で撮られた記憶があやふやだが、何故か投げキッスをしている。 そうするように頼まれたのか、ノリでやったのか?"Burning Man 2013 - One Day Like This"
"Burning Man 2013"のテーマは"CARGO CULT"であった。 その説明の詳しい事は別に書いたが、要するに「どこかからめぐみがもたらされる」と言う"Burning Man"とは真逆な考えである。 ボイジャーはどこかの星に「めぐみ」をもたらすのだろうか? "CARGO CU
衣裳は途中で若干変わっている。 ペイントマーカーを"Give"している人がいて、それを借りて、ここはさみしいなと思っていた袖の部分に描いたからだ。 着たまま上から思い付くまま描いた。ちょこっと「流れ」を意識していたが。 それに加えて、頭巾の頭に
“2001・9・11” 12年が経った。 旅行しづらくなったまま、それが普通になってしまった。 その米国に2年連続で行ってしまっている。 "Burning Man"に"Temple"が建てられたのは“2001・9・11”の後だ。 「祈りの場」となっている。
"Burning Man"の10個の原則のひとつに「何も残すな」があるのだが、私は残してきた。 衣装は帯を頭から後ろに垂らして足を通して袖に繋げているのだが、後ろに引きずっている。 そうすると、歩くとプラヤに独特の跡が残る。 ある日歩いていると、その
8インチのハイヒールブーツを履いてみた。 まともに立てない。これは後ろで支えて貰っている。 足が出ているのは、ブーツを履くためであったが、面白い恰好になった。 "Burning Man"で恒例となっている浜崎健氏の茶会。昨年に続いて今年もお茶を頂いた
"Burning Man"に行く前の雨は「熱帯スコール」であったが、昨日の雨は違った。 何より、雨の後に涼しくなっているし、降ったり止んだりで一日曇りであったから。 それにしても、梅雨と秋の長雨は「雨季」で夏は「スコール」とは、ますます「熱帯」化して
今回は"Tie Man"と呼ばれるのが多かった。 去年は"Tie Guy"であったが、”Tie Man"とも呼ばれる時もあった。それに比べると今回は"Tie Man"が主で"Tie Guy"はほぼなかった。 なんでかと思ったら、帯の頭巾が聖職者の様に観られたのかも知れない。 ナマス
今年は昨年よりも天気はマシだった。 前半は雲があったので陽射しが弱い上に気温が上がらなかったし、また夜間の気温低下もそれ程ではなく、あんまり寒くはならなかった。 何より、砂嵐が少なかった。これは直前に大雨が降って地面が固まってしまっていた
今年はパーティを組まず、キャンプにも参加せずに独り参加。 それは、去年とは違った形で参加したかったから。 "3:50 & I"という外周に近い場所。 独りなので、BRCまでは"Burner Express"のバスに乗って、荷物は持てる量。 テントに寝袋、マットに食料