梶よう子『お伊勢ものがたり』をようやく読了。
この作家は、図書館でたまたま見かけて、ぱらぱらめくって、「これは借りよう」と思うまでまったく知らなかった。
当たり前といえば当たり前だが、自分の知らない良書はまだまだあるのだなあと、あらためて思わされた。
作中では、中級武家の奥方である主人公と、その母、娘の三人が、御師(おんし。伊勢参りを世話する、いわばツアコンのような人)に導かれて伊勢へ向かう。
その道中で、「抜け参り」――奉公先を無断で抜け出して伊勢参りに向かう少年――と一緒になる。
歴史的に「抜け参り」が多かったことは知っていたが、ひしゃくを持って道中で喜捨を受けたり、手形なしでも案外ゆるく関所を通ったりする描写を読むと、厳しいはずの江戸時代にも、こういう宗教的な旅にはある種の寛容さがあったのだなと思う。
宿場町の側にも、喜捨などを支えるだけの余裕があったのだろう。
もちろん、幼い子どもの「抜け参り」には、人買いなどの危険もあったはずだ。
それでも、逆にそうならないよう見守る大人の目も、ある程度はあったのではないかと思わせるところがよかった。
伊勢に着いてからの御師の宿の描写も面白かった。
ふかふかの布団に寝て、食べきれないほどのご馳走、なんと伊勢エビやアワビまで出る。料金は御師の案内料の中に含まれているのだろうが、これは上級武士でも普段はなかなか味わえない、まさにお大尽気分を味わわせる仕組みだったのではないかと思う。
しかも、そうやって大満足して国元へ帰れば、「私も死ぬまでにはお伊勢参りを」と口コミが広がる。
御師の宿は、単なる宿ではなく、宣伝を兼ねた体験装置でもあったのだろう。
ひょっとすると、後の行楽地の旅館が客をお大尽気分にさせるサービスの、かなり早い原型の一つがここにあったのかもしれない。
こんな、いろいろな連想を引っ張り出させる力と余韻がある作品だった。この作家の別の作品も読んでみたくなった。
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