歴史に名を残す「大村益次郎」や「小松帯刀」の主治医だったと聞けば興味が沸いた
そのボードウインがここ法性寺を宿舎として長期滞在していたようだ
寺には彼から贈られた「砂糖入れ」と「菓子鉢」が大切に保管されていると資料に在った
何気なく寺の方に「写真写したいんですがいいですか?」と問いかける
そうすると居間に通されてお茶とお菓子まで出されて恐縮してしまう
住職さんから現物の説明そしてばっちり撮影完了!
暖かいおもてなしに感激し記憶と記録に残る出会いとなった
単なる通りすがりの旅人なんですが「ボードウイン研究者」と思ってもらえたのかな?
◎法性寺へは谷町九丁目駅から徒歩5分
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1862年(文久2年)、先に日本の出島に滞在していた弟の働きかけにより、江戸幕府の招きを受けて来日。
ポンペの後任として長崎養生所の教頭となる。
その間、江戸、大阪、長崎で蘭医学を広め、また養生所の基礎科学教育の充実に努める。
そして幕府に医学・理学学校の建設を呼びかけ、その準備のために1866年(慶応2年)に教頭を離任し、緒方惟準ら留学生を伴って帰国したが、この話は大政奉還で白紙に戻った為、1867年(慶応3年)に再来日し、新政府に同内容の呼びかけを行う。
1870年より大阪府仮学校、大阪陸軍病院や、大学東校で教鞭をとり帰国。1873年、オランダ陸軍軍医に復職。1884年に退役し、ハーグで1885年に病没した。
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