作者自身が障害を抱えているそうで、中から湧き出る問題なのだろう。
遠い星系に移住し適応し変容を遂げた人類は、同種と云えるのだろうか?
神経系に異常を来し認識の仕組みが変わってしまったら、同じ人類として共存できるのか?
『マリのダンス』
ある種の身体障碍とダンスと云うと長谷敏司『プロトコル・オブ〜』を思い出すが、比較してみると面白い。
それはそれとして視覚的に受容の仕方が違う人類にとって既存の芸術はどういう意味があるのか?
「危険な話、わたしが知ってはならない何 か。」← 特殊な身体条件を備えた人々のコミュニケーションは、健常者には立ち入れないのだろう。
彼らは密かに画策する。
『ローラ』
幻肢が起こる仕組みを逆手に取った、新人類と云うべき人々の話。遺伝的な変化がなくても、生物は変容する。それが健常者にどう思われるかは、受け取る人それぞれだ。
もし、神経系の誤動作で現状を容認できなくなった時、人はどうするのか。
『プレスシャドー』
この短編集を貫くのは「異分子がどう扱われるか」だ。
地球ではない場所で地球人類とは変わってしまった人類が暮らす場所に、原形を保つ遭難者が紛れ込んだら、どちらが異分子なのか?
親和と違和が絡み合う。
『古の協約』
移住先を求めて地球を飛び立った人類が辿り着いた惑星は、人類を拒絶した。それでも協約がなされ、人類は変容し生延びた。
そこには地球では衰退した宗教が社会を統べていた。信仰と人類の問題を探る作品。視点人物には共感できないな。
『認知空間』
集合痴と云うべき意識共有の技術を巡る物語。
個の意識と集団の認識が統合されたら、学習型認識をする人類の未来は。仕組みに入れない個人は疎外感を得るのではなく、大きな枠組みを感得する。同調圧力に抗する様にも思える。
ログインしてコメントを確認・投稿する