mixiユーザー(id:282502)

2026年07月25日16:50

36 view

幸田文「崩れ」

 ノンフィクション作家の梯久美子さんが、新聞書評欄で夏に読みたい3冊の1冊にあげていた本。たまたまですが、私もこの夏に読みました。

 幸田文が1976年から77年にかけて各地の「崩れ」、すなわち山の斜面の崩壊を見て歩いた記録。1976年5月の大谷崩れを皮切りに、富士山の大沢崩れ、日光の男体山、富山の常願寺川上流の鳶山、日光の男体山、長野の北安曇野の稗田山、火山活動中の桜島にもでかけて行く。桜島行きの準備中の1977年8月には北海道の有珠山が噴火。その2ヶ月後の10月には、洞爺湖畔の有珠山に飛ぶ。

 発端となった大谷崩れを見たのは、楓の林の新緑が美しいと聞いて安倍峠を訪ね、梅ヶ島温泉に泊まった翌日のこと。安倍峠とは反対側の大谷川の上流に向かった。案内人はおそらく地元の人たちで、勝手知ったる山の斜面で山菜採りを楽しむ。幸田文も清流で野生のわさびを見つけて喜ぶのだが・・・・新緑の林よりも、山菜採りよりも心を捉えて放さなかったのは、崩落する山の姿の憂愁であり、荒ぶる川であった。

 旅を終えてからも、崩れのことが心を離れない。人の中にはいろいろな物種がびっしり詰まっており、それが何かの拍子に芽吹くのだろう,と、記憶の中の「崩れ」に繋がる体験を思い出す。女学校の頃の浅間山登山で帰路に盛大に滑ったことや、都内に住んでいたときの土砂崩れで屋内に泥が入り込んで足が抜けなくなる恐怖、そして、何年か前に新潟県松之山が土砂崩れによって町全体が埋まってしまうというその被災地を見に出かけたこと、そのそれぞれが種だったのだと。崩れの起こる原因を知りたくて、書物にあたるとあまりにも知らないことが多すぎて、全部を知るには時間がないことに苛立つ。それを娘の玉にぐちると、それまで穏やかに聞いていた玉は「母様の方が先に崩壊し始めたようね」と慰めてくれた。慰めというよりあきれかえっていたのだろうが、ともかく、文は、そんなことくらいではめげない。時を惜しんで突進する。行く先々に、「72歳、52キロの女性が行くのでよろしく」と伝令が入って、関係者が大事に取り扱ってくれるのである。山小屋に泊まり、砂防工事用のトロッコに乗り、建設会社社長の背に負ぶさって急な山道を崩れが見えるところまで登る。

 山の姿を美しいという人はいても、崩れについて話す人は見たことがない・・・と書くのだが、そりゃ、そうでしょうよ。幸田文の前に「崩れ」を見るために山に行く人など、地学の研究者か砂防関連の技術者、研究者くらいのはず。さらには、岩や礫がゴロゴロと崩れていく土地だけでなく、噴煙を上げる桜島の噴火に伴う崩れ、そして、噴火直後の有珠山にまで行く。ここで終わりになるが、有珠山の下りを読んだとき、雲仙普賢岳の火砕流のことを思い出した。あれは1991年、あれほどの大火砕流になるとは予測できず、火山研究者夫妻など、専門家として現地を訪れていた人も含め多くの被害者が出た。あれは今も忘れることがないくらい衝撃的な事件だった。崩れが見たいあまり、桜島から有珠山まで行った幸田文なら、雲仙普賢岳にも行きそうだ。

 この作品の元になった「「崩れ」見てある記」は1976年11月から77年12月まで「婦人之友」に計14回連載された。書籍化されたのはそれから14年後の1991年。
 娘の青木玉のあとがきによると、生前にも書籍化の話はあったが、まだ書き足したいこともあるようで、進まなかった。没後半年が過ぎた1991年5月、雲仙普賢岳の火砕流を見て、「母の待って居たもの、書こうとしていたものは紛れもなくこれだ」と思ったとつづる。こうして1991年にはじめて書籍化、その3年後の1994年には講談社文庫で文庫化される。私が読んだのはこの講談社文庫の第19版(2024)。絶版となる本が多い中、実に30年を超えて売れ続けるベストセラーだ。

池澤夏樹個人編集の日本文学全集にも近現代作家の作品を集めた1巻に、「崩れ」(抄)として部分採録されているとのことだ。物理や地学の好きな池澤さんらしい選択とも思うし、幸田文の作品中、異彩を放つ一篇ということかもしれない。

幸田文で読んだことがあるのは、芸者置屋に潜入取材した『流れる』。あとは、教科書か何かで読んだ、父・幸田露伴に家事を仕込まれたときの話(「父・こんなこと」の一部)。
『流れる』は成瀬美喜夫監督、田中絹代主演で映画化されたのを京都文化博物館で見た覚えがある。
『崩れ』は、そのどちらとも違う、異質な作品だ。今の世の中には「推し」という言葉が流行っていて、好きなことにお金も時間もかけて打ち込むことと「推し活」と言ったりするが、幸田文の場合は、突然に「崩れ」推しになってしまうわけである。眺望のよい場所、美しい景色、絶景、奇景を求めて旅をするというのはまだわかるが、よりによってなぜ、崩落の風景に取り憑かれたのだろう。本人の言うように、もともと種となるものがしまい込まれていて、ある日、芽吹いたと言うことなのだろうが。なかなか普通は思いつかない。
批評家の中には山の崩壊に自分の老いを重ね合わせたのだという人もあるし、山の奥に隠れていて人を寄せ付けない崩れは、父、幸田露伴のイメージなのではないか(文庫解説の川本三郎)という説もある。

幸田文の孫の青木奈緒は、祖母の「崩れ」の現場を歩き、「動くとき、動くもの」を書いているそうだ。なぜ「崩れ」はこれほどまでに幸田文を虜にしたのか?それを知りたくて、読者は幸田の足跡を辿りたくなるものかもしれない。
幸田の訪れた「崩れ」のあとには、幸田文の文学碑が建てられている。静岡の大谷崩れ、長野の稗田山、富山県鳶山(立山カルデラ)、日光明智平(男体山)、鹿児島県桜島。それぞれの土地にとって「ご当地文学」になっていると言えよう。

左は、梅ヶ島温泉の宿にあった『崩れ』の文庫本。忘れないように旅館の畳の上で撮影。
宿で最初の数章を読んだあと、帰宅後に自分で購入して、その続きを読んだ。
右は、立山のカルデラを見に行くときに、地元の建設会社社長(松嶋建設創業者、松嶋久光氏)に背負われる幸田文。これはあとからの着色で、元の写真はモノクロ)。



2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年07月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記