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2021年08月23日15:32

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映画「ドライブ・マイ・カー」

 緊急事態宣言が京都にも拡大され、この先ますます映画館にも行きにくくなるかな、と思い、初日の20日に鑑賞。カンヌでの受賞で多くの観客が詰めかけるかと思いきや、それほどでもなく、ゆったりと見られた。
 原作は村上春樹の同名の短編。私も本作の含まれる短編集『女のいない男たち』を読んだばかりだ。いつものように、自分が見たことを忘れないために内容をぐだぐだ書いていますので、未見の方はご注意下さい。

 薄暗いベッドの上で半身を起こした女(顔は見えない)が奇妙な物語を語る。同じベッドに横たわるのは家福悠介(西島秀俊)。女子高校生が、好きな男の子の家に空き巣に入る話だ。何とも奇妙な話だが、原作の短編集の読者は、即座に「シェエラザード」だと気づくはずだ。この話を持ってくるなんて。そして語り手を家福の妻に、聞き手を家福にするとは。ここで、その着想に感嘆してしまう。「シェエラザード」に出てくる語り手の女は「謎めいていて性的」、「夫がいるのに別の男と性行為を繰り返す」という点で確かに家福の妻と共通点があるのだが、その共通点は、こんな形で見せられるまで気づかなかった。シェエラザードの女はあんまり美人じゃないと形容されていたし。
 家福と妻(原作では名前がないが、映画の中での名前は音)は完璧とも言える夫婦だった。家福が記憶して語る彼女の不思議な物語を彼女は自分の書くドラマの脚本に生かし、彼女が録音した演劇の台詞を彼は車の中で聞く。音が別の男と関係を持っているのを知っても、家福は気づかなかったふりを通した。音が「今夜、帰ってきたらちょっと話せる?」と言った日、遅く帰宅した彼は、音が倒れているのを見つける。くも膜下出血だった。彼女は秘密を持ったまたこの世を去った。・・・ここまでが長いプロローグ。

 2年後、家福は広島を訪れていた。国際演劇祭で「ワーニャ伯父さん」の演出を担当することになっていた。そこで、演劇祭の主催者からドライバーの渡利みさきを紹介される。彼女は優秀なドライバーだった。ここでも彼は稽古場と宿舎の間を往復する際、カセットテープに入れた芝居の台詞を聞き続ける。録音されているのは死んだ妻の音の音声だ。
 オーディションに応募してきた俳優の中に高槻がいた。高槻はかつて妻と関係があったと思われる若い俳優だ。高槻はスキャンダルを起こして劇団を追われ、フリーとなっていた。ある日、稽古の後に高槻は家福をバーに誘う。そこで、バーの客の向けるスマホのシャッター音に苛立つ高槻に危うさを感じる。
 オーディションにより選ばれた俳優は多国籍で、手話を使う俳優も含まれる。多言語の台詞を読み合わせる本読み、家福は俳優たちに「感情を込めるな」「うまくやろうとする必要はない」と言い聞かせる。このあたりは、まさに濱口監督のやり方そのものだ。
 初めは寡黙そのものだったみさきだが、自分のお気に入りの場所として美しいガラス張りの建築物であるゴミ処理場に家福を連れて行ったり、演出補佐のコン・ユンスと俳優のイ・ユナ夫妻の自宅に招かれて食事を共にする中で、すこしずつ打ち解けてくる。
 そして、車の中で家福が聞き続ける「ワーニャ伯父さん」の台詞は、この映画の一部かと思われるほど念入りに選ばれ、絶妙のタイミングで挿入される。
 高槻は、エレーナ役の女優ジャニスと車に乗っていて事故を起こし、稽古場に遅れてくることもあった。家福は稽古場に来る途中、その現場を見かけたが、見て見ぬふりをして通り過ぎた。それは妻の情事を見てしまった時と同じだ。
 再び、高槻に誘われ、バーで会話を交わした後、家福は事故で車が使えない高槻をみさきの運転する車で送ることにする。後部座席に並んで座り、音のことを語り続ける二人。家福が、音は性行為の後に奇妙な物語を語ることがあった話を始める。音の語りは、話の途中で途切れていた。ところが、高槻は自分はその続きを知っていると語り始める。その物語は主人公の女子生徒が自分の罪を告白するところで終わっていた。それは家福のまったく知らない話だった。なぜ、そんな話を高槻が知っているのか。高槻の長い語りは真に迫っていた。
 その後の舞台稽古で高槻は迫真の演技を見せ、家福は高槻を絶賛する。そこに警察がやってきて、高槻を暴行傷害致死の疑いで連行していった。
 主催者から「ワーニャの役を家福がやるか、上演を中止するか」と迫られた家福は「考える時間が欲しい」と、みさきの生まれた北海道の上十二滝村をめざす。
 みさきは、札幌で水商売をしていた母の送り迎えをすることで運転技術を身につけた。18歳で故郷を離れたが、それは自宅の裏山の土砂崩れで押しつぶされ、母が死亡し、家を失ったからだった。実はその時、みさきも同じ家の中にいて、命からがら脱出した。左頬の傷はその時にできたものだった。虐待する母を憎んでいた一方で、すぐに助けを呼ばなかった自分が母を殺したという罪障感を持ち続けていた。家福もまた、帰宅を遅らせたことが妻の死を招いたという悔恨を抱えていた。二人はそれぞれが自分を苦しめてきた辛い記憶を共有する。
 広島に戻り、ワーニャ役を演じる家福。そのラストシーンでイ・ユナはワーニャを勇気づけるソーニャのセリフを雄弁な手話で演じる。
 その後(2年後?)、韓国に暮らしているみさき。確かな動作で車を運転する彼女の横顔には、あの土砂崩れの時についた傷はなくなっていた。

 村上春樹の短編を読んで、映画化したいと思うというところからして普通じゃないと思う。今回の映画に使われた「ドライブ・マイ・カー」も「木野」も「シェエラザード」のどれも、わかるようで何だかよくわからない話で、「えー、だから?」と思わせるような終わり方なのだ。でも、これが村上春樹なのさ、と言うのならそれまでというところを、濱口監督と共同脚本の大江崇允は、登場人物に肉付けし、わかりやすい感情の流れを作り上げた。しかし、その素材はちゃんと原作の中にあるのだ。重要な役割を果たすことになる「ワーニャ伯父さん」も、原作の中にあったし、みさきが母親に虐待を受けていたという事実も。しかし、それを左頬の傷(原作では首の痣)にも結びつけ、音がシェエラザードに変身することがあるように、みさきの母も暴力の後にサチという別人格になるという挿話でつなぐ。また、2年前に「ワーニャ伯父さん」の公演中に台詞が出なくなり、自らが演じることを封じていた家福が巡り巡って再演することになるという流れも素晴らしい。みさきと共にみさきの故郷の村をたずねた家福は、そこで再起のきっかけをつかみ、それは舞台の上のソーニャが手話によって演じる台詞により完成する。

 この映画を見たその日の夕刊に映画ジャーナリストの林瑞絵さんの映画評を読み、簡潔にしてその映画の魅力を余すところなく伝える文章に、さすがプロは違うなーと感心した。
 その後、ネット上でもいろいろなプロやそれに近い批評家の人々の批評を読んだ。私は、原作のなかのぼんやりとした部分を描き足し、見えやすい流れと結末のある物語として語り直したと感じたが、それでもなお、幾通りもの解釈を誘う映画となっている。それほどこの映画の持つメッセージは多様で、豊かなのだ。
 ある批評では、この映画の構造が「ワーニャ伯父さん」に置き換え可能だという。また、ある批評では、冒頭のシーンで音がベッドに半身を起こしているのは、「彼女自身がヤツメウナギである」ことを表しているのだという。ある批評では、村上春樹の原作にある女性差別性(女性の運転する車に乗るのが嫌いだというくだり。映画では、音に対して「僕は心から君を愛しているけれども一つだけ不満なことがある。車の運転だ」という形で女性全般ではなく音という個人に対する苦情として描かれる)を指摘する。23歳の女性の運転手が運転する車の中で、亡き妻との性生活を延々と聞かせるのはセクハラだ、という声も。

 私は、原作を読んだとき、そこに書かれているとおり、家福の妻が他の男とセックスをするということは謎でも何でもなく、みさきが言うように「奥さんはその男を別に愛してなんかなかったからできたんじゃないですか。そういうことをする人はいるんです」と解していた。妻が他の男と寝るのはたいしたことではなく、その男もたいした男じゃなかったんだし、ま、今となってはどうでもよくね?という話じゃないかと。それをここまで、3時間という長丁場を少しも退屈させない映画にしたなあと、改めて濱口監督の力量に感服する。

 原作では家福という姓だけだが、映画での下の名前は濱口竜介監督の名に似た悠介。演出家としての悠介は濱口監督の分身といってよさそうだ。また、高槻が語る「音の語った知られざる物語の結末の台詞」は、高槻自身が舞台を去る日の場面とも重なる。いろいろなところで、繰り返しや、別の物語の引用が組み合わされ、物語を重層化させるテクニックを感じる。

 劇中劇として挿入される「ゴドーを待ちながら」と「ワーニャ伯父さん」は、多言語で上演される。このような実験的な演劇は見たことがなかったので、とても面白く感じた。観客は舞台の上方にある多言語字幕を読むのだ。それぞれの俳優が母語で演じることで、その発する台詞にはその人自身の声がストレートに出るとも言える。

 その多言語のうちの一つが韓国手話というのも新鮮だった。イ・ユナを演じたパク・ユリムの演技はとても美しく、手話を理解しない私にも字幕越しながら強くメッセージを感じた。

 運転手が車を運転し続けるシーンが多く、風景も見ものの一つ。広島のいろいろな場所、そして広島から新潟まで陸路、そしてフェリーに乗り、北海道の原野を走る。その旅を追体験した。

 ヤツメウナギの映像が出て来たのもある意味おもしろかった。ヤツメウナギというと、なぜか強精剤を連想するが、魚に取り付いて捕食するという怪しい獰猛さに人は惹かれるのだろうか。この話の中のヤツメウナギは魚を襲わず、石に吸い付いてゆらゆらと流れに身を任せながら藻を食べているのだが。

 朝ドラで気象予報士の朝岡さんが出てくると、映画の中の家福と重なって混乱するなあ。しばらく反芻して楽しめそうです。
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