「オアシス」と同じくイ・チャンドン監督の作品。こちらもデジタルリマスター版が公開され、3月31日に友人と見に行った。シネマート心斎橋で上映が始まって最初の日曜とあって、なかなかの入り。エレベーターの中やロビーで次々に知り合いに会う。
私は、こDVDで一度見たことがあるが、とにかく暗い映画だったという印象。韓国の現代史を描いてはいるが、その時代がピンと来ないこともあって、再見の機会を待っていた。
以下、内容に触れています。
1979年から1999年までの20年間、主人公が20歳から40歳までのできごとを7つのエピソードで綴る。ただし、時代の順序が逆で、1999年春、その3日前、1994年、1987年、1980年、1979年と遡っていく。
「野遊会(ピクニック)」1999年春。川原に集まった昔の工場の労働組合の仲間たち。そこで主人公のヨンホは、川をまたぐ鉄橋によじ登り、走ってくる汽車の前に立ちはだかり、叫ぶ。「もう一度戻りたい」。音を立てて通り過ぎる汽車。いったい、彼に何があったのか。
「写真機(カメラ)」3日前。ヨンホはピストルを手に入れ自殺を図るが死にきれない。妻子と別れ、すべての財産を失い、あばら家に住む。初恋の人、スニムの夫に連れられていった病院。彼女は死の床にあり、もう意識がない。彼女に渡すつもりだった「ペパーミント・キャンディ」の瓶。彼女の夫に渡されたカメラを売り払い、フィルムも抜き出して泣く。
「人生は美しい」1994年。社長と呼ばれ、羽振りのいいヨンホ。妻のホンジャは浮気しており、ヨンホも会社の事務員と関係を持っている。浮気相手と食事中、顔見知り男に出会い、「人生は美しい、だろ」と声をかける。同僚を招いた新居祝いの席で妻のホンジャは狂ったように長い祈りを捧げ、ヨンホは家を出ていく。
「告白」1987年。ヨンホは刑事として民主化運動の学生を厳しい拷問にかけていた。その学生のノートには「人生は美しい」という言葉があった。妻の出産の報を聞いても家に帰らず、群山に容疑者逮捕に出かける。群山はスニムの故郷の町だった。
「祈祷(祈り)」1984年。新入りの警官のヨンホは近所の食堂で働くホンジャに「兄さん」と慕われている。初めて尋問を任され、拷問に自我を殺すヨンホ。スニムが訪ねてくるが、その目の前でホンジャの下半身を撫でる。スニムからプレゼントされたカメラも見送りに行った駅で返してしまう。その夜、泥酔して暴れ回り、ホンジャと一夜をともにする。ベッドで祈りを捧げるホンジャ。
「面会」1980年。兵役に就いたヨンホ。スニムが面会に来るが、非常事態で面会は叶わない。突然の出動命令に、荷物からペパーミント・キャンディがこぼれ落ちる。出動先は民主化運動に揺れる光州。暗闇で帰り道を急ぐ少女を守るつもりが、誤って撃ってしまう。
「逍風(ピクニック)」1979年。工場で働く若者たちが歌いながら川原を歩いている。ヨンホにスニムが声をかける。カメラを持って花の写真を撮りたいと夢を語るヨンホに、スニムがペパーミントキャンディを手渡す。川原に座って歌う若者たちの輪の中でヨンホとスニムの視線が交錯する。輪を抜け出し、鉄橋の下に寝転んで空を見つめるヨンホ。
こうして、冒頭の鉄橋のある風景に戻っていくラスト。
このストーリーを韓国の状況と合わせて時系列に辿ってみる。
1979年に「いつかカメラを持って花の写真を撮りたい」という20歳の工員だったヨンホは、スニムに出会い、彼女にもらったペパーミント・キャンディを食べる。その年の10月、朴大統領が暗殺され、全斗煥の軍事独裁政権が始まった。
翌年、兵役についたヨンホにスニムは手紙を書き、いつもペパーミント・キャンディーを同封していた。それを食べずに貯めていたが、1980年の光州事件の日、それはすべて床に落ちて散らばり、踏みしだかれてしまった。そして、光州での騒乱の中で意図せずして少女の命を奪ってしまったことが彼の心の中に深く突き刺さる。
1984年、退役後、刑事となったヨンホの仕事は政治犯の弾圧だった。民主化運動に加わっている学生らを逮捕して拷問で口を割らせる。初めて拷問に手を下した日、彼の手は容疑者の排泄物に塗れた。その洗っても洗っても臭いの落ちない手は、二度と無垢には戻れない、汚された彼の自我の象徴だった。訪ねてきたスニムに「あなたの手はやさしい人の手」と言われ、彼は自分の手を見つめる。彼はもはや、スニムに「優しい人」と呼ばれる資格はない。自分の手が少しも優しくないことを見せるかのように、給仕にきたホンジャの下半身を撫で回す。絶句するスニム。それでもなんとか気を取り直してカメラをプレゼントする。しかし、そのプレゼントすら受け取る資格はないと思っているヨンホは見送りに行った駅で突き返してしまう。自身の良心を失い、初恋の人も失い、自暴自棄となって暴れまわるヨンホ。ヨンホを慕うホンジャをベッドに誘ったが、彼の心はホンジャにはない。からっぽだった。
その後、ホンジャと結婚し、娘も生まれ、刑事を辞めて商売を始めた彼は、韓国の好景気を背景に経済的な豊かさを享受するが、心は寒々としたままだ。その景気もあっという間に萎み、妻とも別れ、河原の掘っ建て小屋に住むホームレス同然となる。初恋の人スナムは死の床にあり、償いの言葉を伝えるすべもない。こんな人生に誰がした?何もかも失い、スナムと出会ったあの日の鉄橋で「戻りたい!」と絶叫するのだ。
初公開時に出版されたパンフレットを持っているので、それを読み返す。
イ・チャンドン監督、ソル・ギョング、ムン・ソリへのインタビューとシナリオ再録という豪華な内容だ。
そのインタビューの中から、一部抜粋する。
編集部:ソルギョングは、ほぼ新人に近い俳優でしたが、彼を起用した理由は何ですか?
イ監督:一人の男の40歳から20歳までを演じるということは、かなり難しいことだと思っていました。映画の中でその人生を生きることは不可能ですから・・・。それでもリアルに見せるために、実年齢で30歳から半ばくらいの俳優を探して、2000人くらいにオーディションをしました。ところがなかなかいい人がいなくて、オーディションとは別に彼に会いました。でも彼の第一印象はあまりよくありませんでしたよ(笑)。自分の意思で会いに来たのではなく、呼ばれたから来たのです、と言った感じで貪欲ではなかった。無口だし、外見も変わっていました。この作品ではかなりの演技力が要求されますから、彼にあまり経験がなかったので、そこを判断するのも難しかったですね。ただ、前作の『ディナーの後に』の5分間の印象がとても良かったので、彼にしようと決めました。ソル・ギョングは、一見ぶっきらぼうで、外から見ると砂漠のようですが、内面に豊かな水をたたえているような人間だと思います。(実は、ソルギョングの個別オーディションの演技を見たイ監督の妻が「ここにあなたのヨンホがいるじゃない!」と言ったのが決め手になったと言われる)。
編集部:すべての章で、ヨンホと女性の関わりがあるのも印象的でした。
イ監督:各章の女性は、ヨンホの内面を反映しています。
スニムが死ぬ場面は、ヨンホの純粋さの死です。死の床にある彼女を見て、彼は本当に自殺を決意するのです。その前にあばら屋で自分にピストルを向けたのは、死をほのめかしただけに過ぎません。彼女の死を認識して、追い詰められた自分を救うために死を選んだんですね。 その前の章では、妻が浮気をしますが、あれは彼の道徳的な堕落を意味しています。実際彼も秘書と浮気をしていて、倫理観を失っています。 その前の章で張り込み先の飲み屋の女性と一夜を共にする場面では、芝居でしか真実を語れない。彼はもはや、嘘の設定の中でしか自分の本当の気持ちを表せなくなっています。駅のホームでのスニムとの別れは自分の夢との決別、自分に呈する裏切りと別れです。 光州事件で少女を射殺してしまった時、彼は自分の内面を破壊してしまいました。 最後の場面では、白い服を着たスニムに出会い、初めて恋心を抱く、まだ破壊されていない純粋な頃の彼を表現しています。
編集部:とても重い映画の内容に比べて『ペパーミント・キャンディー』というのは、優しくて軽い感じのするタイトルですが、これは何を象徴しているのですか?
イ監督:韓国では、いまはあまりはっか飴を食べなくなりましたが、昔はよく食べていて日常的な存在でした。そんな、とても小さななにげないもの、見逃しそうなものの中に、実は人生の大きな意味があるのではないかと思いました。映画にははっか飴のもつきれいで爽快なイメージをもたせたかったのと、甘くない飴を好む人もいるだろうという思いもありました。映画の中のはっか飴は、初めて人に恋をした象徴、空に輝く星のようなイメージもありますね。でも、浮気の現場でなめた飴は、初めて恋を知ったあの日とは変わってしまった。ほろ苦い味のする別のものになってしまったのではないでしょうか。
この映画の中の一つの章題にもなっている「人生は美しい」について、こんなことも言っている。
イ監督:この映画には一見、人生の間違いや過ちばかりが見えますが、私は根本的に「人生は美しい」ものだ、美しくなければいけないものだと思っています。それを訴える方法は、二つ。美しいものを見せて直接訴えるものと、逆のものを見せて、でも人生は美しいのだと訴えること。この映画を見て主人公の人生を壊したものはなんだったのか、ということに気がついて欲しいのです。
韓国の現代史を知らないとわかりにくいとも言われる本作だが、そういった詳しい背景を知らなくても、普遍的なテーマを持つ作品として多くの観客を引きつけてきた作品だと改めて思う。
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