私の存在意義とは何であろうか。
私は親のすねをかじって生きている。学生だから。と言い訳したいが、大学院生である。周囲は働いており、結婚する人間も多い。焦る。学生の本分は勉強であり、大学院生は研究が加わる。にもかかわらず、勉強に身が入っていない。ぼーっとネットサーフィンをしてしまうような、弱い人間だ。
私の存在意義とは何であろうか。
親の収入に寄生し、だらだらと生活する。これが今の私の存在意義。認めたくない。認めたくないが、これが現実である。本当は研究に打ち込み、力の限り生きたい。だが、これが現実だ。私は弱い人間だ。
私の存在意義とは何であろうか。
何の生産性もない人間に、存在意義などあるのだろうか。本当は、もっと挑戦したい。限界の先をみてみたい。私のモットーは、完全燃焼だ。夢は、経済の最前線に立つこと。もっと研究したい。もっと論文を書いて、学会で発表したい。……みんなに認められたい。だが、筆は進まない。私は弱い人間だ。
私の存在意義とは何であろうか。
私は弱い人間だ。これはい訳に過ぎないのではないか。弱い人間だから仕方ない。それで済ませていいのだろうか。そんなわけない。こんな私を支えてくれる家族のためにも。立身を目指す自分のためにも。昔はもっと野心をもっていただろうか。現実に負けて、いじけているだけではないか。人間が弱いのは当然である。弱さを直視し、逃げてはならない。
私の存在意義とは何であろうか。
大学院への進学を決めた時、研究者になろうと志したとき、まだみぬ世界に胸を躍らせていたときを思い出せ。学問と心中する覚悟だったではないか。私の存在意義。それは、会計学を通じて、社会に貢献することだ。そのために、この身をささげたい。
私は弱い人間だ。壮大な絵を描いても、すぐに行動に移せるわけではない。いきなり大望をもったとて、目の前に注意を払わねば、足元をすくわれるだけだろう。人間はすぐに変わるものではない。けれども、変える努力をすることならできる。泥臭くても、あがこうとも、見果てぬ夢をみたい。
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