今年(2026年)1月にMIXIに参加してから、ほぼ毎日日記を投稿している。最初のころは、一日に何本も書いていた。
とはいえ日記といっても、他者に公開する前提の文章である。だから、とりとめのない覚え書きでは済まない。一応は「読ませるもの」にする必要がある。
そのため、コンプライアンスだけでなく、ネタバレへの配慮も要る。こちら、つまり書く側の個人的事情が過剰に漏れないようにする必要もある。さまざまな配慮と制限が、暗黙のうちにかかっている。
こういう、ひとかたまりのエッセイのような文章を書くと、自分の中の「もやもや」を整理できる。
加えて、「これは他人に聞かせる話ではないな」と思う話題や、赤裸々すぎる表現を避ける訓練にもなる。
MIXI日記でたまに見かける、エロ・グロ・ナンセンス・ざまぁ・マウントでview数を伸ばすような投稿は、自分ではしたくない。
その一方で、ユーモアや「ほのぼの」を感じる日記は、見ていて楽しい。よく閲覧する人の日記もある。
また、映画評や小説評から、自分の知らない作品を教えてもらえる楽しさもある。
自分も、そういう日記をひとつのモデルにしたい。読んだ人をうならせるような日記に仕上げたい、という気にさせられる。
昨年は、5ちゃんねるにも何回か書き込んだ。
だが、あの文字ベースのやりとりの世界は、かなり閑散としていた。アラシ的なリプライはあっても、真剣な議論にはなりにくかった。
これは、20年以上前の2ちゃんねるやnifty serveのフォーラムとは対照的だった。当時もアラシはいたが、真剣なレスの応酬も多かったように思う。
昨今は、文字ベースのやりとりよりも、YouTubeのような動画に対する短文コメントのほうで、タイパよく情報取得や共感的コミュニケーションを済ませる方向に変わってきたのだろう。そんなことを感じさせられた。
そのYouTubeにも、私は何本かコメントした。思い込みや刷り込みを助長するように見える動画に対して、疑問を呈する文を書いたのである。
だが、反応はほとんどなかった。動画を自分の頭で真剣に咀嚼する人は、コメント欄から遠ざかっているのかもしれない。結果として、動画をヨイショするコメントばかりが目立つように見えた。
MIXIに残っている参加者は、比較的落ち着いた年配の人が多いのではないか、と想像している。
そんな想定読者をうならせるような名エッセイを書いてみたい。
そう思いながら、少しずつでも進歩している――少なくとも自分ではそのつもりの――日記を書き続けようと思う。
いつかは、枕草子なみの名随筆を目指して。
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