この話し、誰に話しても信じてくれないので、嘘つきと思われたくないので、あまり話さないのですが、あえて書きます。
31年前、ヤングマガジンでイニシャルDの連載が始まった時に、私はその舞台である渋川で働いていたのですが(バーミヤン渋川店)、主人公が通っていた舞台の高校の生徒達等から、モデルは私と言われていました。
当時私は、夜な夜な榛名山と赤城山を走っていたのですが、連載当初の主人公の車が私の車にそっくりでした。
当時、榛名山でドリフトしていたAE86は私しかいなかったので、連載が始まった時、何これ私?と自分でも驚きました。
当時はAE86のブームは過ぎ去っていて、ドリ車はシルビアと180SXが全盛で、スポーツカーといえばR32、R33、R34のスカイラインGTRが一番人気でした。
土屋圭一も当時はもうAE86に乗っておらず、R33スカイラインを愛車にしていました。
後にイニシャルDのブームの影響か、土屋圭一は再びAE86に乗り、モデルは土屋圭一という事になりました。
漫画の中でもボンネットの色を黒くして、土屋圭一のAE86に似せました。
漫画での連載が始まるより5年くらい前までに土屋圭一が乗っていたAE86は真っ白でした。
作者のシゲノさんが取材に来ていたのを何度か見ましたが、当時彼は顔出ししてなかったので、その当時はわかりませんでした。後年彼の愛車が白のFCのRX7と黄色のNSXという事を知り、来てたんだと知りました。
当時の渋川でモデルは私と言われていましたが、それは作者のシゲノさんが言った訳ではなく、高校生発祥で噂になっていただけなので、本当はどうだったのか知りたくなったので、この記事を書いています。
私のmixiブログはプロレーサーも読んでるようなので、シゲノさんの知り合いが読んで本人に伝わる事を期待してます。
私はAE86を39年乗っていますが、もうボロボロです。
2台で60万キロ超乗りました。
もし私がモデルの一人だとすると、そのAE86は貴重品になるので、維持していかないといけないなと思ったのが、この記事を書いた動機です。
シゲノシュウイチさん、もしこの記事を読んだらコメントお願いします。笑
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