昨年末に見た映画。
スペイン・カタルーニャ地方の桃農家を舞台にしたカルラ・シモン監督作品。ベルリン映画祭の金獅子賞受賞作。
カタルーニャの田舎の村アルカラス。
乾ききった土手に放置されたオンボロ自動車の中で、イリス、パウ、ペレの3人の子どもたちは、ドライブの真似事をして遊ぶ。ところが、ある日、巨大なショベルカーが来て車を持ち上げ、どこかに持ち去ってしまった。がっかりする子どもたち。いったい何が起ころうとしているのか?
祖父ロヘリオの代からこの地で桃農園を営むソレ一家。今は息子のキメットが家長として大農園を切り盛りする。キメットと妻のドロルスの間にはティーンエイジャーの息子のロジャーと娘のマリオン、就学前の末っ子イリスがいて、双子の従兄弟のパウとペレも毎日、入り浸って遊ぶ(この双子の着ているお揃いの服がどれもかわいい)。大伯母さんも同居する大家族だ。
そこに、地主から、この農園を立ち退けという青天の霹靂の通告。桃の木を全部切り倒してソーラーパネルを並べるという。発電の方が、桃を売るよりもずっと金になる。だから、桃農家をやめてソーラーパネルの管理人になれというのだ。
この土地は、戦争中に祖父ロヘリオが地主一家を助けたお礼にと、永代使用が許されたものだった。しかし、それは口約束に過ぎず、契約書などはない。地主も世代が代わっており、過去の経緯など知る由もない。明け渡し期限の8月末までに最後の桃の収穫は終えなくてはならない。
例年は収穫期に多くの移民労働者を雇ってきたが、今年は3人が限度だ。EUの公定価格が低く抑えられているせいで、桃農家の手取りは減る一方だ。近隣の農家と集まるたびに政府への抗議デモをしようという話が出る。
ウサギの害も深刻だ。夜行性のウサギを狙ってウサギ狩りに精を出す農家もある。
桃の木の下でウサギの死体を見つけたイリスは、それを移民労働者のひとりに見せる。言葉の通じない彼は、手を合わせ、胸を叩き、死を悼む動作をする。真似をして胸を叩いてみるイリス。
「太陽と桃の歌」というタイトルと、桃の木の木陰の可愛らしい女の子のポスターに牧歌的な物語を想像しそうになるけど、実際にはスペインの片田舎の農家の直面する厳しい現実の物語だ。太陽の光は桃畑に豊かな実りをもたらしてきた。しかし、それをソーラーパネルという名の金のなる木に置き換えようというのだ。農家の痛みがひしひしと伝わってくる。
とにかく広大な桃畑と収穫しなくてはならない桃の量に圧倒される。黄桃、平たい桃、ネクタリンなど何種類かの桃。貯水池から引く農業用水の管理も重要で、水門の開け閉めを間違えると農園が水浸しになってしまい、根腐れの原因になる。副収入を期待してとうもろこし畑の中にひっそりと大麻を育てたりする長男。昔ながらの村の祭りで今風のダンスを披露しようと練習する長女。祭りのワインの早飲み競争に勝って満足げなキメット。
また、何かの祝い事には家の外の大きなテーブルに大家族が一堂に会して食事をする。そこには、エスカルゴを藁灰の中に埋めて焼く料理なんていうのが出てきたり。こういったカタルーニャの田舎の生活を余すところなく描きながら、最後にブルドーザーが来て桃の木を根こそぎ引っこ抜いて更地にしていく光景には、うーん、スペインよ、これでいいのか???と思わざるをえなかった。
スペインは、再生エネルギー先進国と言われている。ヨーロッパは70年代の石油危機、80年代のチェルノブイリ事故を経て、早くから再生エネルギーに舵を切ってきた国が多い。北欧やドイツもそうだが、スペインは日照時間が長く、風もよく吹くという地の利を生かして、太陽光、太陽熱、風力といった再生エネルギー事業に力を入れてきた。政府の固定価格買取制度が破綻するなど、常に安泰だったわけではないが、政府の方針は揺るがない。
そんななかで、再生可能エネルギーを正義として、農作物を生み出していた土地、農産物によって成り立っていた暮らしが失われていくことには「人類はどこでまちがったのだろう」という思いを禁じ得ない。日本でも、山林を切り拓いてソーラーパネルを並べることが各地で始まっているけれど、それよりは、これ以上電力消費を増やさないような暮らし方を考案しなくてはいけないのではと思ってしまう。
公式サイトとの監督インタビュ(
https://ginzamag.com/categories/interview/488232)によると、舞台となったカタルーニャのアルカラスという村は、監督の生まれ故郷で、父とその兄弟が桃農家を営んでいる。自分はその村で育ったわけではないので、まず、父の兄弟の家で、脚本家とともにふた夏をすごして、この村の暮らしを知ることに努めた。
配役は、キメットの妹グロリアを演じたベルタ・ピポ以外は、すべて演技経験のない地元の人。全編カタルーニャ語なので、カタルーニャ語のネイティブであることが条件だった。オーディションを経て選ばれた配役の人たちと、撮影の3、4ヵ月前頃から同じ家で暮らしてワークショップを重ね、家族のような演技を引き出した。また、キメット役のジョルディ・ プジョル・ ドルセは、10年前まで農業をしていたので、演技としてではなくごく自然に農作業をすることができた。
映画で描かれていることは、実際に監督の父の一族の土地で起きたことではないけれども、どこでもありうることとして、農業やエネルギーのあり方に一石を投じたいということも語っていた。
いや、しかし、ラストの桃の木を根こそぎ引っこ抜いて更地にしていくシーンはショッキングだった。あれは本当に撮影したのか、ずっと気になっている。
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