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2024年06月17日21:37

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映画「トノバン 音楽家加藤和彦とその時代」

この映画のポスターを映画館で見た時に、「えっ、こんな映画が作られるなんて」とびっくりした。私にとっては、小中学校時代の憧れの人、大好きな存在ではあったが、今の人は、知らないんじゃないかな、という気がしていたから。監督の言葉によると、この映画の企画の出発点は、昨年、亡くなった高橋幸宏だったと知った。もっと評価してもいいのではないかと言っていたのだそうだ。

この映画は、加藤和彦と関わりのあった北山修、松山猛、その他、ともに活動してきた多くのミュージシャンや、音楽関連の仕事をしてきた人、レストランのシェフといった人たちへのインタビューが中心で、そこに、その時代の映像や音楽が挟まれるというもの。

ミュージシャン、プロデューサーなど、彼の音楽人生をその初期から共にしてきた人たちは、いまではみな高齢だ。言い出しっぺの高橋幸宏はもうこの世にいないし。よくぞ、間に合ったと言いたくなるような貴重な証言がくりひろげられる。その世界のことは全然知らなかったけど、同じ時代を私も生きてきたのだ。

1967年のフォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」のヒットは忘れられない。私の小学校でも「オラは死んじまっただー」は大流行。ちょっと不謹慎な歌詞に教師たちは眉をしかめていたけれど。
フォークルは、メジャーデビュー後1年であっさり解散してしまうが、中学生の私は、ラジオの深夜放送を聞き始める。よく聞いたのはこの映画の冒頭にも出てくる「オールナイト・ニッポン」だ。特に、水曜日担当DJの斉藤安弘アナは、フォークルの解散後も彼らの曲をくり返しかけてくれていた。
発売中止となった「イムジン河」、「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」といった歌を聞いた。「青年は荒野をめざす」を作詞した五木寛之の同名の小説を読んでみたりもした(ぜんぜん、思ってたのと違った)。また、なぜか、この番組の前の15分ほど、スポンサー名のない加藤和彦の番組があった時期があった。そこでは、とりとめのないおしゃべりと、新曲などが披露されるのだった。これもすごく楽しみだった。

フォークルの解散後、北山修は医学生に戻り、はしだのりひこは「はしだのりひことシューベルツ」を結成、加藤和彦は「音楽プロデューサーの仕事をしていきたいと思いまーす」という言葉を残してそれぞれの道に進んだ。音楽プロデューサーとはどういう仕事なのか、さっぱり理解できなかった。でも、この映画では、その音楽プロデューサーぶり、優れたミュージシャンを嗅ぎ分ける天才的な勘、その音楽作りなどが明かされる。他の歌手を売り出す裏方的な役割と、自分の好みを徹底的に追求したアルバム作りなどをしていた感じ。いつだったか、実家を片付けたとき、いつ買ったのかも忘れた古いLPのソロ・アルバムが出て来た。もうプレイヤーもないし、聞くこともできないが,まだ取ってある。

「サディスティック・ミカ・バンド」の存在は名前としては知っていてもあまり音楽は聴いていなかった。京都で一人暮らしを始め、再びラジオを聞くようになった時は、すでにミカ・バンドは解散していたが、伝説のバンドとして、「サウンド・ストリート」などでその曲がよくかけられていたから、それをカセットに録音して聞いたりしていた。

最初の妻、ミカと別れた後、作詞家の安井かずみと再婚した。セレブという言葉を絵に描いたような豪勢で贅沢な暮らしぶりだったらしい。目利きであること、だから、常に最高級のものを欲した。それが彼の美学であり、スタイルなのだと認められていたのだろう。しかし、北山修は、加藤の自死の原因はうつ病と経済的な困窮だったのではないかとも言っているらしい。
この映画にも、ミカ・バンド時代、イギリスからロールス・ロイスを個人輸入して乗り回していたというエピソードが出てくるが、どう考えても、収入には見合ってなかったはずと思う。でも、それを周囲に浪費だとは言わせないものを持っていたのだろう。

最後に、北山修、坂崎幸之助、高田漣、坂本美雨らが参加して「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌うエンディングでは、涙が止まらなかった。この曲がとくに好きだったというわけでもないのだけれど、10代の頃の私、加藤和彦が大好きだった頃の私に戻ったような気がしたからかな。
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