それだけ現代人は迷いながら生きてるという事か・・・(わかったような遠い目)
最近、3年ぶりくらいに妹の友人Yさんからメール連絡があり、彼女の今後のキャリア形成や家族観についての悩みに電話で相談にのった。不要な誤解を招かぬように奥さんにもYさんにも双方の許可を得たうえである。持論の「この世の問題の大半は人間関係、特に身内や味方との行き違い。逆に言えば人間関係さえうまく回ってりゃ人生何とかなる」に従えば当然そうなる。
「心配させたくなかった」「不要な誤解を招きたくなかった」と言うならば、情報は隠すのではなく、公開するものだ。「情報を隠す」という真逆の行動をとり、結果的に別ルートから情報を得たパートナーから不信の目を向けられるパターンが幾多あったことか。
また、最近特に目に付くネット記事がレタスクラブあたりの女性の悩み記事。嫁姑問題とか価値観の違いすぎる夫のこととか。
そして冒頭の感想に至る。Yさんは私に相談する時点で選択肢を見出していて、私に背中を押してもらいたいパターンだったのでまだしも、「自分の感情を決められない」というたぐいの相談が巷間にあふれているような気がする。だから「占い」も流行するのだろう。(かなり論理飛躍しているのは認める)
何らかの理由で自分の願望や感情を押し殺してきた結果、自分が真に望むものがよくわからなくなっているのではあるまいか。
何らかの事象に対して、感情を持つのは悪いことではなく自然なことだ。感情は原動力(エンジン)としては最強のものである。ただし解決手法(ハンドル)として用いるべきではない。そこは理性で対処すべきものだろう。
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