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2021年03月28日08:21

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「弱者」が強すぎる

■「女性と言うにはあまりにも年」=森氏発言、蔑視と批判も
(時事通信社 - 03月26日 22:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6461682


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以下、森氏の記事への関連はあるが、主題は森氏の発言ではない内容です。
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�◆嶌絞漫廚函屮魯薀好瓮鵐函覆い犬瓠法廚領犹�性だとか。
��「差別」と「表現の自由」の境界線だとか。
�ぁ崋匆馘�少数者への配慮」のバランス、度合いだとか。

最近はこのあたりが非常に難しくなってきているように思う。

「現時点」の私なりの意見としては以下の通りだ。なお「現時点」を強調する理由は「より論理的、合理的と私が思える理由が出た時点で意見は変わっていくから」である。

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扱いの差をつける理由に�‖真�派の同意を得られるかどうか?�∨‥�根拠などルール上の理由が「事前に」設定されているかどうか?(罪刑法定主義)

たとえば犯罪者に相応の罰則を与えるのは�´△鯔�たしている。
同一労働同一賃金と言いながら男女の違いで給与に差異が生じるのは�´⇔省�に反することになる。という具合だ。
難しいのは�´△諒卻�しか満たしていない場合だろうか。�,痢崑真�派」というのも非常にあいまいな定義だし、多数派が間違っているケースも当然あり得る。�△砲靴討眛瑛佑播�時は正しいとされた法律でも現在基準で見れば間違っていたルールというのはいくらでもありえる。・・・まあ歴史的なことを現代ルールで穿り返すのは「愚かな行為」でしかないわけだが(当時「その結果を法的に正しい」とされた時点でその結果を後から覆すという作業はキリがないのだ。これはTRPGでも同じだ。)

�◆嶌絞漫廚函屮魯薀好瓮鵐函覆い犬瓠法廚領犹�性
「受動側が不快に思ったら成立する」「能動側がどうおもっていたかはほぼ無関係」というのがそれこそ現時点の多数はだと私は感じている。森氏の発言もこの範疇で判断されていて、「とりあえずよろしくない」とされている(与えるべきとされるペナルティの度合いについてはまた分岐が発生しているようだが)。

そして私の意見はこの多数派の意見に懐疑を持ってしまっている。

「弱者(受動者)が強すぎる」のだ。

たしかに「弱者」は不利なので保護が必要だが、この「保護」がいささか強すぎるので「弱者を装う」というズルが増えてきているように思う。

「弱者はウソをつかない」
「弱者は聖人だ」

なんてことはない。むしろ弱者こそ身を守るためにウソをつかざるを得ない状況は多いだろうし(実際にウソを言うかどうかは個々の事例によるが)、弱者もむろん人間的弱さから逃れえるものではないのだが。

私見ではこの「強すぎる弱者保護」については将来的に揺り戻しが発生するとみている。弱者重視の一方的な見方に偏らないように調整が必要になるのだろう。

��「差別」と「表現の自由」の境界線だとか。

意見の異なる相手に対して「差別だ」と攻撃に用いる。
その防御として「表現の自由だ」と防御に用いる。
攻防が入れ替わると互いにダブスタっぽく見えてしまう状況にある。

「表現の自由」にもとづいた「正当な批判」なのか「差別的思想」による「誹謗中傷・ハラスメント」なのか?である。

おそらく私も含めて。自分が賛成する意見については表現の自由にもとづいた正当な批判だとしやすい。また、自分が反対する意見にたいしては差別やハラスメントだとして封じに行く傾向があるのではないか。

ここの境界線が明確になってい居れば、持論においてのダブスタをなくすことができるし、他人のダブスタを的確に指弾することができよう。
まだ完成してはいないのが最大の問題なのだが(ダメじゃんw)。

概論としては今は2つ考えている。
◆1 「言動および付随する意図の説明」を一切加工することなく判断する。
(その表現をしている者にとって大切なものに同じことをやり返されたとして許容できるかどうか)
◆2 誰かの気分を害してまで指摘をする社会的価値があるかどうか(放置することでどれだけ実害があるか)

�ぁ崋匆馘�少数者への配慮」のバランス、度合いだとか。

「自由」「平等」「博愛」の順序には意味がある。

まず「自由」その人の意思は基本的の尊重されるべきということ。ただし、行き過ぎて他人の自由を侵害してはならない。ゆえに「平等」という発想が来る。かといって単なる平等では救われない弱者がいるのでそこをフォローする努力目標としての「博愛」が来る。

LGBTの方々や人種差別、優性遺伝もろもろの「社会的マイノリティ」を考えるとき、彼らが救済されるのは「博愛」においてだと思っている。

社会的が成熟しているという条件をクリアした上での「努力目標」というレベルだ。

キレイゴトをどれだけ言ったところで、たとえば文明と言えるものがないような原始時代に上記のマイノリティを救済するには社会的リソースという「余裕」がなさすぎる。

だから少数者や弱者が「自分たちは弱者だから救済されて当然だ!」という態度が出てくると「それは違う」と思う。少数者の前にまずは多数者が救済されてなければ「少数弱者による多数強者に対する搾取」という奇妙なことになりかねない。

LGBTや障碍者の方に関して言えば、まずは多数者である「男性用トイレ」と「女性用トイレ」が十分確保されたうえで、「余裕があれば」ユニバーサルトイレが設置されるという順序であるべきだろう。ユニバーサルトイレの面積が大きすぎて男性用や女性用トイレが設置できない!となれば本末転倒だ。

私にはマイノリティを不当に扱う意図はない。「可能な限り平等であり、救済されるべき」だとは思う。ただ単に「社会的資源は有限」なので「社会的な優先順位」があると思っているということだ。

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