https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180612/k10011474031000.html
今日になって報じられた。一抹の寂しさを感じえない。
昭和五十年代、僕はギンギンなロック小僧だったが、実はフォークソング育ちだ。
岡林亡き後の日本フォークソング界を牽引するのは吉田か加川か、と云う論争があった時には僕は加川派だった。結果、商業的には吉田の勝ちらしい。実際そうなのだろう。
所謂洋楽に嵌まり、電気ギターの回路設計をしたりギター・アンプのパワーアップを図ったりサウンド・エフェクターを魔改造したりする生活の中で、浅川マキや三上寛やなぎら健壱やはしだのりひこを聴いたりしていた。
ちょうど今から四十年前、松本市の四柱神社境内には松本市の中央公民館があった。市民会館を使う程ではないマイナーな人のコンサートなどをよくやっていた。
ある日その参道を歩いていると、カーリーヘアでサングラスをかけた女性がギターケースを持って佇んでいた。ラジオや有線放送では聴いたことのある楽曲『さよなら僕の友達』を歌うシンガーソングライター・森田童子だった。開演まで時間があって、何故か会場の外に居たところなのだろう。通り過ぎる僕に、彼女は軽く会釈した。僕は参道を通り過ぎると、商店街に向かい、レコード屋で、彼女の作品『グッド・バイ』を買った。何故か気になってしまったのだ。
その後高校を卒業して東京に出た僕は、何度か森田童子のコンサートを聴きに行った。ちょうど、アナログレコードからCDに移行する時期が来て、CDも買った。
当時、彼女のファンクラブは存在しなかった。「森田童子を支持する会」と云うものがあったが、会の幹部にはかなり政治的な発言をする人がいたので入会は躊躇した。
まだ東京12チャンネルだった頃のテレビ東京は、サブカルチャー系のドキュメンタリー番組をよく制作していた。喜屋武マリーや松田聖也(だったと思う)、その他画家やらワクワクする番組を作っていた。森田童子も当然取材対象となった。学生寮の蛸部屋のモノクロテレビで、寮生が集まって鑑賞した。
それから十数年が過ぎ、パソコン通信からインターネットに移行し始めた頃に、当時の貧弱な検索エンジンで「森田童子」を検索すると『森田童子研究所(
http://www.gogorocket.jp/doji/h/)』と云うサイトを見つけた。グラフィック・デザイナーで漫画も上梓されている伊藤重雄さんの主催されているサイトだ。
まさかあるのかあ、と思ってBBSに投稿したりもした。今でも「破目仙人」名義で晒されている。(
http://www.gogorocket.jp/doji/h/dengon/m-deng5.html)
『森田童子全楽譜』と云う本を持っていたので資料としてお貸ししたんだけど、著作権の問題もあってスキャンした内容を公開することはできなかった。
一昨年、嘗てLPレコードで発売されていた作品が一気にCDで発売された。当然全部買った。
支持する会には入らなかったけれど、僕は今でも彼女の作品世界と、彼女が活動したサブカルチャーの世界を支持する。
安らかに眠られよ。
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