■「もし、あなたが今、いじめられていたら、とにかく逃げなさい」ネットで拡散する2006年に書かれた文章
(日刊SPA! - 03月20日 16:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=3329780
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例によって私見。他人に強制もしないし強制されるいわれもないという前提で。
人の価値観立場は千差万別十人十色。意見の違いは当たり前。
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「逃げるのが正解」「いや闘うのが正解」という視点そのものに違和感がある。
なぜか?
「手段」は結果で正解かどうかが決まるものだ。で、「正解かどうか」は目的を達成できるかどうかで決まるものだ。
「逃げるか戦うか?」と言う問いかけで手段部分だけを論じるのは、なにやら「表層的な感じ」がする。
まず考えるべきは「目的は何?」「何が一番大切?」という部分ではないのか? それさえ決まればどの手段が正解なのかはおのずと見えてくる。
で、いじめられている子が自分の命を守るのが正解なら、「かなわない敵」「変えられない状況」からは逃げるのが正解になることが多い。状況によっては相手よりも強大な権力を召喚して戦うという方法も有力だ。「とりあえず個人でサンドバッグのように耐え続ける」というのは「耐えてさえいれば状況変化や援軍のアテがある時」以外は止めたほうが良いだろう。
未来に希望のない籠城策は「ジリ貧」という。ザンギエフの防御力のようなもので「苦痛が長引くだけ」になることもある(違)。
「なんだ、前口上が長いだけで逃げるのが正解っていう結果は同じジャン」と感じる方は、それはそれでいい。それこそ価値観は人それぞれなので。ただ「なぜ逃げてよいのか?」と言う理由まで読みを入れておいた方が「しぶとく・しつこく・したたかに」逃げることができるので個人的にはお勧めだ。
一部の「戦うべきだ」という意見を言う人がその意見を言う理由だが、おそらく「命よりも大切なものがある」のだろう。なので、その方にとっては逃げるのは間違いで戦うのが正解なのだろう。ただ、その価値観をあまり強い言い方で価値観や状況が違うヨソの子に勧めるべきではないと思う。
価値観の強制や押し付けも「いじめの一類型」なのだから。
「私は召喚魔法を用いて事態を打開したことがある、だからこれが正解だ!」とは言わない。議論でたまに辟易するのが個人的な経験を正解として他人に強制する方だ。「私の時はこうだった」というのは「はい、そーですか」「ソリャ、アンタの時はそうだったんだろうけど」としか言いようがない。
「名選手必ずしも名監督ならず」は教える側と教わる側の力量やセンス、条件の違いを考慮せずに自分の過去の成功体験を強制するから発生するのだ。「だって自分はこれで成功したんだもの」というゆるがぬ実績、そして親切心が却って悲劇を生むケースはけっこう多い。
私もモノを教える人間なので、生徒の特性を見抜くことにはかなりウエイトを割いているつもりだ。
私が生徒に教えたいのは「正解を選ぶ問題」よりも、「正解を自分で決める問題」のほうが世の中では重要なことが多いと言う事だ。技術やノウハウ、解決策と言う「答え」よりも考える方法や道筋という「ヒント」を教えることにウエイトを置くように努めている。
「自分の人生を自分で生きる」というのは「自分の正解を自分で決める」ということではないのかな? むろん、その「自分の正解」を他人に強制強要してはならない。それをするのはまさに「いじめ」であり、IS国などのテロリストや一部の過激な宗教の狂信者たちと同類に堕ちてしまう。
価値観も状況もそれぞれだ。徹頭徹尾、「正解は自分で考え決める」しかない。そして「手段」は思いつく限り全てを検討するほうが良い。なので「逃げる」と言う選択肢は外すべきではない。・・・と個人的には思う。
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